日繭
記八



1996年6月

(6/7) 手紙を書いたり、読んだりする時間って、直接会うのとも、電話で話すのとも違う雰囲気を持っていると思いませんか?

  感覚的には書き込みにレスをつけていくのやメールにリプライするのに似ているのかもしれません。でもキーボードに向かう事よりも、心の準備がいるという感じが僕にはします。僕自身手紙をもらってもなかなか返事が書けない筆無精な事もその一因なの かもしれません。と云うとなんだか大仰ですが、実は大したことなくてドラマの再放送が見られただけの話なんです。

ちょうど一年くらい前に、フジテレビで『恋人よ』と云うドラマをやっていたのを知ってますか?鈴木保奈美、岸谷五郎、佐藤浩一、鈴木京香出演のなんということはないドラマです。その再放送を、4時半からやっていたようで、今日がちょうど最終回だったんです。体調を崩し仕事を休んで、ぼんやり過ごしていて、ちょっと懐かしてチャンネルをあわせてみました。

「親愛なるあなたへ」という書き出しから始まる手紙を通して、お互いの気持ちを綴っていくのが、大きなテーマでした。口に出してはとても恥ずかしくて云えないような熱い思いが、手紙では表現できるんだなと、手紙のやりとりに憧れたものです。

「心で一度燃えた炎は、決して消えてしまったりはしない、たとえどちらかが 先にこの世を去るようなことになったとしても」

このせりふは、放送終了から半年たった今も、僕の中でくすぶっています。


(6/9) 今日は三鷹まで人形劇を見にいってきました。何故、人形劇?と思う人もいるかもしれませんね。大学のサークルで、人形劇を小学校やら保育所やらで公演するという活動をしていたので、良く、プロの人形劇を見にいったりしているんです。

「むすび座」という劇団の「セロひきのゴーシュ」という作品を見てきました。宮沢賢治の「セロひきのゴーシュ」です。お客さんのほとんどは、ちっちゃな子どもとその両親、という組み合わせなんだけど、なん組みか、ああ、これは好きな人達なんだな、という大人のグループがいたりします。人形劇というと、「子どものためのもの」と思われがちですが、ところがどうして我々大きな人も楽しめる様なものもたくさんあったりするんです。公民館くらいの広さのホールで、出演者は、日本人の若者一人と、中国人のおじさん一人、計二人の小さな舞台なんですが、小さな舞台狭しと、人間と人形が入り乱れて大笑いの渦でした。ネコやたぬき、かっこう、ねずみの人形たちもとてもかわいらしい人形でした。いいですよ。人形劇。 


(6/18) このところ風邪が重く、寝てばかりの生活をしていたんですが、やっと少し楽になってきました。もう頭は痛いは、腹は壊すはで難儀しました。

人間具合の悪いときや、眠れない夜中に限って、なんでもないことをうじうじと暗く考え込んでしまうものですね。眠りすぎで、体は眠りを求めているのに、頭はやけに冴えてしまって、でもどこか一枚薄い幕で現実と遮られているような感覚のなかで、いろんなことを考えました。もう、そんなことは卒業したつもりでいたので、元気になった今思い出してみると、とても恥ずかしい気持ちでいっぱいです。陳腐な言葉だけど、人間健康なのが一番って事なのかな。



繭八庵
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