日繭
記八



1996年10月

(10/1) 今日は朝から寒かった。会社について、寒い寒いと皆で話をしていると、われわれの部署のマネージャーがなかば駆け足でやってきた。急げば汗は出るのは当然、至って当然のことなのだが、「いやぁ、今日は11月並みの気温だって、さっむいねぇ」と言いながらおでこの汗を拭う姿には皆で笑わせてもらった。


(10/2) 3ヵ月ぶりくらいに大学の友人に電話する。福島出身の奴で、こちらで就職したいといってまだ大学のそばに住んでいる奴なのだが、就職は福島になりそうだという。大学を卒業したあともこちらに住んでいた奴が一人また一人と実家へ帰っていく。


(10/3) 気合いの入ったエヴァのページを見つけた。現役のカウンセラーの心理学者が「フォーカシング」と言う理論を用いて、この物語を考えて見ようというものだ。この人のページを読んでいるうちに問題の25話、最終話と、また見たくなって、深夜3ヵ月ぶりくらいにこのアニメを見る。リアルタイムで見ていた時(今年3月)とくらべるとすんなり見ることができている。不思議だ。


(10/4) ふと空を見上げると雲が高い。表を歩くと一日中ひんやりした、心地よい空気を味わえる。夜になると虫たちが静々と鳴き出す。季節はもう秋である。とは言ってもいい事ばかりではない。卑近な例でなんだかな気分であるが、これまでの季節僕は朝シャワーもしくは風呂を浴びて目を覚ましてからから仕事に行っていたのだが、ここ最近朝方はすっかり涼しくなって、風呂上がりのほてった体で表に出るとてきめんに湯冷めしてしまうのだ。 約1時間の通勤時間のうちに、初めはほかほかしていて気持ち良いのがだんだん暑いんだが寒いんだかわからない感覚になる。初めは「この感覚は何だ!」と驚いたのだが、良く考えてみるとたいしたことはない、ただの湯冷めだ。スーツ着て湯冷めすると言う事が異質なことだったで、わからなかったのだ。そのことに気付いて以来、朝風呂はしていない。おかげで、しゃんと目が冷めないままの通勤時間はとてもきついものになってしまった。学生時代は平気だったのになぁ。


(10/5) 先週エヴァの面白いページを見つけたせいで、また、心理学関係の本を読みたくなって図書館へ行く。興味が湧くとちょろりと読んでそれっきりだから、心理学を体系的に学ぶことをいつまでたってもやらないで、耳学問にもなっていないな。きちんと学びたいとは思っているんだけどね。こういう文章を書くたび、自分はいいかげんだなぁとしみじみ思う。今回の興味は「フォーカシング」が一番だったのだが、残念ながら東図書館には一冊しかなかった。今回は(今回も、か)河合隼雄を中心に借りてきた。エヴァのページを見つけて、図書館にも行って思ったことだが、ぼくの興味は「成長しようとする子ども」にあるのだなと、劇を作っていた頃から感じていたことなのだが改めて思った。


(10/6) ゆうべは、久しぶりに(でもないか)飲みに行っていたのでビデオにとっておいたターミネーター2を見る。劇場版よりもメッセージがストレートに伝わってくるわかりやすい編集になっていると思う。特にサラを救出して3人で逃げ出して、町はずれのあばら家で一夜を過ごすシーン。過去にやってきてからは学習できないようになっているチップを学習できるように変えるところ。劇場版では何気なくながされたシーンが説得力をもって現われる。隠してあるキーを探し出したり、笑い顔をスキャンしてぎこちなくしか表情を作れなかった笑みが、だんだん自然に変化していく。そして一番ぐっときたのが親指をぐっとたてて溶鉱炉に消えていくラストシーン。いい映画でした。


(10/7) 児童文化研究会(大学時代にいたサークル)から学園祭の案内が来る。卒業してもう半年か。早いもんだな、と、ちょっぴり感慨。で、人形劇をやっていた同期の連中にいつごろいく予定か電話をしてみる。皆それぞれ忙しいらしくって学祭で、会えるかどうかもおぼつかない感じ。9時ちょっとにかけたのだけど今日はあいにく「ロンバケ」のスペシャルをやっていたようでそいつを見ているところに僕からの電話がいったものだからみんな対応が何かそっけない。そりゃ僕だって好きなテレビとか映画見ているときに電話来たらいやだけどさぁ・・・ちぇ。


(10/8) 帰ってきてから、学祭関係で大学のサークルのOBの人達にメールを書く。昨日同期の連中に電話したのと用件は同じ。今年の学園祭いついく?である。といっても僕は金曜月曜とお休みもらって木曜の夜から月曜の夜の打ち上げコンパまでしっかり楽しむつもりでいるんだけど、懐かしい顔は来るのかしら来ないのかしらんと気にはなるでしょ。4通同文メールを出してそのままあちこち覗いて回っていると、何と1通返事が来てしまった。この距離を感じさせぬ技術革新。感謝感激雨あられ。だって僕うれしいんだもんね的喜びにしばしの間うちふるえてしまったのであった。そうして夜は更けていく。


(10/9) 喉がいがらっぽくてフィニッシュコーワのお世話になった一日だった。橋本治の「窯変源氏」をまた読み直しているのだが、今回は途中で飽きたりせずに最後まで読めそうだ。まだ「若紫」のあたりでもたもたしていて何だがこの先どうなっているのだっけという気持ちに押されて「あさきゆめみし」を読み耽ってしまう。漫画だと展開が早いし、人物も顔つきで把握できるからいいね。1巻から源氏が没する10巻まで一気に読んでしまった。寝たのは明け方。トホホ


(10/10) 目が覚めると体中が痛い。熱をはかってみると、何と8度6分もある。それでもメールの確認と、船サの巡回だけはしっかりやって、ふとんにもぐる。喉をやられてしまって声がでない。熱で集中力が散漫していて不快だ。一日中寝ていて、7度少しまで熱は下がったのだが、相変わらずふらふらするし、からだは痛い。喉はいたいままだ。たいして良くはなっていないのに眠気だけがなくなってしまってだるくて頭は朦朧としているのに、こんなふうにマックに向かって日記なんかつけているという事態になってしまった。あぎゃー。だるい。


(10/11) 昨日突如8度6分まで上がった熱は貴重な祝日を一日確実につぶし行われたバファリンによる強力解熱作戦によって6度6分の平熱まで戻る。作戦は成功したかに思われた。しかし扁桃腺付近いがらっぽい喉の変調までは倒せなかったようである。家を出て電車に乗ってからというもの咳が止まらない。汚い話で恐縮だがたんが絡んだ咳ならばまだ救いようはある。からからに乾燥した喉が息を吸うたびにぜいぜいと鳴り、突然、発作のように咳が出る。出る。出る。出る。会社に着くころにはもうくたくたである。会社の中はエアコン完備と聞こえはいいがそのおかげで見事なまでに乾燥している。乾燥した空気が今回のぼくの喉には一番良くない。挨拶しても電話に出ても咳が出る。出る。出る。出る。しかしこの時期、鼻をぐしゅぐしゅさせながらくしゃみを連発したり、真っ赤な顔してマシンに向かっていたり、咳が止まらずに苦しそうにしていたりするものは社内にごろごろいる。風邪を引いて辛そうにしていても当然のことながらだれも同情してくれないのだ。かえすがえすも思い浮かぶのは前日にわが家で行った強力解熱作戦が完遂されていればという後悔の念ばかりであった


(10/14) 喉の調子は今日もよろしくない。まったくもってよろしくない。今のペースで「窯変源氏」を読んでいると家にある5巻まで読み終わってしまうのは時間の問題じゃないかと僕はふと気付いてしまった。気が付いてしまうと手元に読む巻があるうちに残りを揃えてしまわないといけないと強迫観念に囚われてしまうのが僕という人間なわけで。その欲求をたやすく叶えてくれる図書館というものが近くにあったということが僕にとって良かった のか悪かったのかは僕には分からないわけで。(by北の国から)だがしかしいつもなら頼りになる図書館には7、8、9、11、12、13、14巻の7冊しかなかった。4巻もじきに終わり5巻突入は今日明日のことと予想できその5巻も3、4日あれば読み終わってしまうだろうから6巻以降を手にいれるチャンスは今日しかない、と思っていたのにとりあえず一番近くに必要になる肝心の6巻が無いとは!そして入手できなかった6巻10巻探しの旅が始まるのであった。
北習志野 「博文堂」「みゆき」
津田沼  「昭和堂」「パルコの本屋」「ヨーカドーの本屋」
船 橋  「東武5階本屋」「西武10階本屋」

7件の本屋を駆け巡り船橋西武10階本屋にてとうとう見つけたのだがこれが「豪華箱入り14冊全巻セット¥22.400」だったのである。僕の欲しいのはとりあえず図書館になかった6巻と10巻だけ。いずれ全巻揃えたいとは思っているが、今ここで全部買うには高すぎる。しかしセットになっているものをはたしてばらで売ってくれるのか? 勇気を振り絞って「全巻セットの箱の中のものばらで売ってもらえますか?」と本屋のおねぇちゃんに聞く。しばらくお待ちくださいといなくなったかと思うと年配のベテランそうなおばちゃんを連れてやってきた。小声でひそひそ話しだす二人。おばちゃんはばらでは売りたくないらしい。おねぇちゃんがしきりに何かいってくれてる。おばちゃんがうんとうなずくとおねぇちゃんがこちらを向いて 「ばらでも結構ですよ」「あ、いいですか、すいません。」「ハイ、何巻からごいりようですか?」「・・・6巻から・・・」「6巻から14巻までですね」「・・・・・・・・・・」

   ばら売りにしてくれたおねぇちゃんの手前6巻から全部といってしまった。いいのだ。いずれ揃えるつもりだったし。今日だってなかなか見つからなかったじゃないか。次はいつ探せるかも分からないんだし買って正解正解。と自分に言い聞かせる。あーあ。1万4千円・・・・・・


(10/14) 北海道から帰ってきたはらの家へ、旅行前に冗談で言った蟹、買ってきてくれたかなと思いながら訪ねる。3泊4日で、車であちこち回ったそうで、走った道をチェックした地図を見せてもらう。なんと北海道をほぼ一回りしている。通算走行距離は約1600キロ!しかも軽自動車!!すごい!!えらい!!秀樹感激!遅れてえすわいがやってくる。とおもむろに立ち上がるはら。にやにや笑っているおばさんとおとうと君。重そうな発砲スチロールの箱を持ってきたぞ。こいつはまじで蟹か?(笑)と思う僕の気持ちをよそにふたを開けるとその中に入っていたのはなんと!どっかーんと鎮座まします『なまじゃけ様』であった。予想外の土産に驚く暇もなく追い打ちをかけるかのような一言が続く。 「これ、なまだからすぐさばいてね」
即座に家に持ち帰り家族を驚かす。さばけりゃ格好いいんだが、もちろん僕にこいつはさばけない。大きな獲物を目の前に母も興奮ぎみだ。うろこを落としまな板に乗せる。げ、乗り切らない。どぎゃっ!と頭をぶちきり、腹を裂き内臓をえぐり出す。身を骨に沿って3枚におろす。おお!いくらがいるじゃないかぁ!!このいくらどうしたらいいの?すかさずはらの家に電話で質問コーナー。電話の向こうのがら宅ではおとうと君がしゃけ相手に奮闘しているらしい。母親の手にかかるとしっかり魚の形をしていた野性の生き物がその原形をなくしただの食材となっていく。その様子をつぶさに見る体験はとても新鮮だ った。


(10/15) 古本市に来ると興奮してしまいます。ことあるたびに立ち寄る一般の本屋にはたくさんのたくさんの読みたい本欲しい本揃えておきたいシリーズが山のように並んでいます。古本市ではそれらの本たちが普段の半分から下手すると10分の1の値段でぼくに買われるのを待っているのです。いつどこでどんな本に巡り会えるかわかりません。いわば宝の山。神田神保町なんか一日中いたって飽きません。その変わりいくら使うことになるかわかりませんが。今日は帰宅途中、中野サンプラザ前で古本市開催中ののぼりにひかれて寄り道。講談社現代新書が比較的たくさんでてるぞ。げげ、岸田秀があるじゃないか。あれよあれよというまに14冊14000円相当の書籍を持っていました。さてそれからが古本市の醍醐味、少しでも安くてきれいな本を探す。です。うろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろ。古本市会場を歩き回ること1時間。最終的に14冊で3100円というところまで到達できました。大体市価の5分の1。満足満足。 充実した一日でした。(仕事は??)


(10/17) 珈琲を飲んでもちっともうまくない。自分で入れても人の入れてもらったものも、喫茶店のものを飲んでも。ここの珈琲はうまいと常々思っている店の珈琲まで何だか変な味がする。これは自分の舌がおかしくなっているのではないかと思うようになったのはあるテレビを見てからだ。「味覚異常」という病に冒される人が増えているという。原因は、新陳代謝の激しい味覚細胞の代謝を促す確か鉄分だかの不足。代謝されないままの古い味覚細胞が酷使され、そのうち何を食べても味を感じなくなってしまう。うどんを食べても毛糸のようなものを無理やり飲み込んでるようだと言うのだからむごい。対処方は代謝を促す栄養分をひたすら補給し疲弊した味覚細胞の再生を待つしかないという。この番組を見たとき、味覚を失った食生活というものを想像しぞっとしてしまった。珈琲の話ばかりで恐縮なのだが、あの、一瞬にして疲れを癒し、心の底までリラックスさせてくれる、それこそ豆ごとにいや、同じ豆でも一杯ごとに違う苦さ、苦さのそこからにじみ出るほろ甘さ、ちょっとした酸味。あの豊かな味わいが失われた世界なんて考えられない。珈琲ばかりではない。さまざまな料理の、たくさんの食材の組み合わせによって生まれるそれこそ星の数ほどある味わいのバリエーションがすべて失われてしまうのだ。カルボナーラ、とんこつ、ラーメン、おでん、餃子、ピロシキ、とんかつ、お好み焼き、焼き魚、ムニエル、湯豆腐、シチュー、焼き鳥、マリネ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 実際にこの病に苦しんでいる方の心中を考えると、早く病気を直しておいしい料理を心ゆくまで楽しんでください、としか言葉が浮かばない。今僕の直面している事態がただの風邪のせいであることを深く願う。


(10/19) 学園際の準備に忙しく動き回る後輩たちの手伝いに大学にいってきました。児童文化研究会と云うサークルにいたのですが、ここは毎年人形劇の公演、紙芝居の上演、昔話などの素話し、学内グランドに25メートルプールサイズの巨大迷路、各種工作など子供のためのだしものをやっています。大人が来てももちろん面白いですよ。大の大人が30分出られずつかれ果ててしまう迷路や、普段滅多に見る機会の無い人形劇や紙芝居の公演。まぁ学園祭の宣伝は別ボードでやるとして、その学園祭の準備を9月から後輩たちはやっているのです。そこに邪魔をしにというか手伝いにというかいってきました。夜の8時ごろやっと作業が終わって帰ろうかというときに突然ぽつぽつと雨が振りだしたかと思うとまたたく間に大粒の土砂降りになってしまったのです。雷までなりだして、もうものすごい状態です。その大雨のなか何を考えたのかぼくは傘もささずに(持ってなかったという言い方もあるけどね)後輩の自転車の後ろにまたがり「駅まで送ってくれ!」と叫んだのです。降りしきる雨次々に鳴り響く雷鳴。瞬間的に青白く光る空。いたいほどたたきつける雨粒のなかようやく駅にたどり着いたときには頭のてっぺんから爪先までもうぐしょぐしょ。電車の中に水たまりを作ったのは後にも先にもこれが初めてです。


(10/20) 「風と共に去りぬ」を初めて見る。スカーレット・オハラ、レット・バトラーという登場人物の名前と有名なテーマ音楽「タラのテーマ」は耳にしたことはあったが作品をみるのは初めてである。スカーレット・オハラ役の女優を実生活で8度にも及ぶ結婚と離婚を繰り返すエリザベステーラーだとばかり思い込んでいたのに気がついた時には驚いた。どこかで2度の離婚と3度の結婚をするスカーレット・オハラとエリザベステーラーが重なりあってしまっていたのだろう。実際はビビアン・リーという女優だとわかり良かった良かった。それにしても思わぬ勘違いであった。南北戦争時代の、古き良きアメリカを愛する、奴隷制度と奢りしか持たぬ南部が舞台。その南部社会が戦争を通して疲弊し誇りを打ち砕かれ、北部の工業化社会の荒波の前に崩れ落ちていく姿を描く歴史的側面と、時代の規範とされる女性像、男性像からはみ出してしまうとても自分の欲望に正直で、我慢することをせず、権力に屈しない二人の男女の恋の物語としての二つの表情を持っている。リンカーンが奴隷解放政策を打ち出して、南北戦争に勝って、奴隷制度が無くなってよかった。と、北部=悪者とこれまで考えていたのですが、北部は北部なりに愛すべき生活をしていたのだな。歴史に押し流されていくはかない小さな 人々の生活。その人々の生活にほんの少し触れることができたような気がした。「窯変源氏」が片付いたら「風と共に去りぬ」だなと本棚を眺ちゃったりして。


(10/23) 過去最高のスコアを出した。出てしまった自分でもびっくりしてしまった。なんと155点だ。今までは100を超えれば万々歳だったのに、自分の身にいったい何が起こっているのだと目を疑ってしまいました。奇蹟は3フレーム目から起こり始めました。ふらっと投げたボールがストライク。ラッキ!と思いながら4フレーム目では「まっすぐ。まっすぐ」と自分に言い聞かせながらふっ、と投げるとまたまたストライク。!!!この時点で自分でも大分信じられなくなっていました。5フレーム目はもうどきどき「まっすぐまっすぐまっすぐまっすぐまっすぐ」ふっ、ごろごろごろごろすきゃきゃきゃきゃーん。・・・・・・・スットラーイク。なんと3フレーム連続です。これはいけるかもしれないと思ってしまったのが運のつきでした。6フレーム目はがたがた。8フレームでもう一度ストライクが出て1ゲーム目終わって結果、なななんと155点です。3年前に神がかり的に出した151点をも上回る好成績。この点数はこれから先破られることのないぼくのベストスコアでしょう。2ゲーム目は、って?奢れるものは久しからず盛者必衰のことわりを表わす。


(10/24) ごはんを食べたあとにおじさんたちはよく、おばさんたちはたまにレストランや定食屋やかっぽうや飲み屋さんで食卓やテーブルの上にのっかっているつまようじでシーシーやりますよね。ふと疑問に思ってしまったのですが、この「つまようじ」日本固有の文化な のかしらん?いったいいつごろから使われているものかもわからないし、もし日本の文化 でなければどこから発生して、いつごろ日本に渡って来たんだろう。最近若いくせにつまようじを使うようになってしまったおじさんの疑問です。


(10/25) サークルの後輩が鍋をやるので来ないかというので北越谷まで仕事が終わってからいく。在学中は下宿している同輩や後輩の家で仲間や後輩たちを集めて鍋やら焼き肉やらを作って朝まで飲んで騒いで授業はエスケープということをよくやっていたものだ。卒業してからとんとみんなで飲むから来てくれというお誘いがなかったので少々寂しいなと思っていたのでたいそう喜んでほいほいと北越谷まで行ってしまった。この日は水炊き鍋。はくさい、しらたき、とうふ、にく、白滝やらなんやらがごちゃごちゃ入っている。仕事が終わったおじさんは鍋をつつきながら一杯やって、また鍋をつついて酒をば飲んで。というシチュエーションを想定していったのだが人形劇の練習を終えてきた奴らだけに、腹が減ってはいくさはできぬとばかりにガッツガッツ喰う喰う。おじさんがお酒飲みながらさぁなんか食べよっかなぁという時には、鍋の中味はほぼなくなっちまってる。ががーん。俺は何を喰えばいいんだー!もう1杯鍋をぐつぐつ煮込んでいたようで、こちらは少しはつまめたのだが、酒を飲む気で行ったぼくと、飯を喰うつもりの後輩たちのあいだには埋めることのできない溝があったようで、がつがつ鍋を喰う後輩たちを眺めながらぼくは一人酒を飲んでいたのでした。


(10/26) 人形劇サークルの練習を見に行く。学園祭は近づくのになかなか練習が進まないので見に来てくださいと皆さんに声をかけることができないでいたのですが、今日の練習ではなかなか面白い劇になっていました。久しぶりに後輩たちのやる人形劇を内輪の関係者のつまらないことを気にするシビアな目でなく、客観的なお客さんとして物語にどっぷり浸って楽しむことができました。小説でも漫画でもアニメでもドラマでも映画でも演劇でも人形劇でも「物語」と名のつくものは全て、その読者(観客)を現実世界から物語の世界に引きずり込んで、一瞬の夢を見せるものだとぼくは思います。自分が人形劇を作っていたことがあって、多少その内部のことを知っているとすぐにつまらないことが気になってしまいます。どんな表現でもそうだと思いますが、「物語」よりも枝葉末節の細かなテクニック(演出や、音効、照明)が気になったり、目についたりして純粋に「物語」の世界を楽しめなくなってしまうのです。完全なお客さんとして素直に純粋に「物語」を楽しめることは滅多にないのですが、今回は後輩たちの人形劇でそれを味わうことができました。 すでに自分は現役ではなく、自分がやった劇よりも完成度の高いものを作り出した後輩たちへのうらやましい気持ちと嫉妬を同時に感じながらの帰り道でした。


(10/27) 居眠り運転の車って怖いね。目の前の車がふらふら走っていてたまに反対車線に飛び出しそうになるの。げ!と思うと飛び出す直前に運転手は反対側にハンドルきるんだけど今度はガードレールにぶち当たりそうになる。目の前で事故起こされちゃたまらんわい、とひやひやしていたのですがその車はなんとか無事にぼくらの前から姿を消してくれました。 4年ほど前飲み屋で日本酒しこたま飲んだくれて自転車で帰ったことがあるんだけど、そのときはもうまっすぐだっておぼつかないのに無理やり自転車乗るもんだからあっちふらふらこっちふらふら。自転車のってるうちに酔いまで回ってきてもうぐでんぐでんでした。その次の朝は二日酔いでもう気持ち悪いのなんのでそれからぼくは日本酒はあんまりのまなくなってしまいましたとさ。


(10/28) 去年、95年の今ごろには椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」94年の今ごろには大江健三郎の「死者の奢り・飼育」93年には栗本薫「レダ」92年には夢枕獏編「鬼譚(きたん)」91年には中上健次「19歳のジェイコブ」を読んでいました。なぜそんな事がわかるのかというと、高校2年1991年の2月4日から読んだ日、題名、作者、出版社を読書ノートというものを作ってそれに記入するようにしたのです。それはある本の文庫化のさいの解説の「私は18のときから自分の読んだ本をすべてチェックし記録している」という部分を読んだからなのですが、それ以来今まで約5年9ヵ月記録し続けているおかげで今日は今までどんな本を読んでいたのかもわかるというわけです。時々、忙しかったり、面倒くさかったりすると、読んだ本の記録を忘れてしまったりもしているのですが、この5年強の間に大体1150冊あまりの本を読んでいることになります。この記録を何とはなしに眺めているといろんなことが見えてきます。ある作品は1年のうちに何回か周期的に読まれていて、それは大抵何となく先の見えない自分の将来に不安になったときだったり、自分の興味が学問的な部分に向いたときであったり、本当に生きているんじゃないかと思えるような登場人物たちにまた会いたくなったときだったり・・・。また何年かしてこのノートを眺めたときいったいどんな本たちの名前がここに記されているのか、とても楽しみです。


(10/29) たとえば、人の考え方は一人一人違います。同じものを見ても同じようにはなかなか感じることはできません。ましてや自分とはまるで違うものの考え方をする人が、その人の考えや感じたことを唯一絶対の正しいものとして押し付けてきてもそんなもの受け入れられるはずがありません。だれかが面白いねと言ったから面白いんじゃない。だれかが楽しいねと言ったから楽しいんじゃない。楽しいのも悲しいのも面白のもつまらないのもおいしいのもまずいのも気持ちいいのも気持ち悪いのもきれいなのも汚いのも愛しいのも憎らしいのも悔しいのも寂しいのも辛いのも充実してるのもそれを感じるのは自分なんだ・・・ だれかの意見でそう思い込んでしまう前に自分の感受性に身を委ねてみればいいじゃないか。


(10/30) 眠れなくて、目が覚めてしまう夜はよく自転車で深夜までやっているレストランまで行きました。コーヒーだけ頼んでレポートを書いていたり、本を読んでいたり、時にはうとうとしていたり。そうして眠たくなってきたかなという午前3時4時過ぎにコーヒーでたぽたぽになった思い体を持ち上げ、覚醒とトリップの狭間のような状態でふらふらと家路につくのです。大学が休みにはいる時期には、これにえすわいとはらが加わります。3人で 深夜の北習志野を徘徊するのです、何をするでもなく特別に話があるわけでももちろんなく。午前2時の霊園、地下鉄の工事現場に忍び込もうとし失敗したり、何の気なしのドライブが夜明けをみようと房総半島の南のさきっちょまで半日かけて行ってみたり、午前4時の小学校のグランドで寒さにふるえながらブランコ乗っていたり・・・・・大学を卒業した今もこの3人の会合はなくなったわけではありません。今夜もまた深い闇の中に足音だけを響かせて僕らは潜りこんで行くのです。



繭八庵
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