日繭
記八
97年1月ですよ
(1/5)
午前中は日も射し、ほのかに暖かなそれなりに気持ちの良いものだっだ。硝子越しに射し込む光はほのかな陽だまりを生み、時の流れの止まったかのようだった。しかし次第に灰色の重たい雲が空を埋め凍てつく冷気が充満しはじめる。いくらきつく締めても襟元から袖口から足元から冷気が忍び寄ってくる。首筋からから侵入した冷気は一気に背骨を駆け抜け全身の筋肉を収縮させる。足踏みをしながら突然ぶるるっと体が震えた拍子に空を見上げると・・・・・
見上げると雪が降っていた。
(1/8)
京極夏彦4作目
「鉄鼠の檻(てっそのおり)」
読了。佳境に近づくにつれてテンポ良く進行する物語の勢いに流されて、一気に読み終えてしまった。新書版825頁。半端な枚数ではない、がその枚数を忘れてしまうかのごとく物語は突き進んでいく。 どこかのWWWサイトでも述べてられていたようにこれはうる星やつらだという表記がある
「畏怖堂堂と云うか古色蒼然と云うか旧態依然と云うか瓦解寸前というか」「錯乱しているこういう場合先に錯乱したものの勝ちである。」
後のはあたるが女になってしまったのときのクラスメートの狼狽振りをみてのせりふだったりする。
(1/11)
先日買ったリーガルのデザードシューズの初履き。新しい靴をおろすときはとても嬉しい。
岩井俊二の
「LOVE LETER」
を見る。何だか照れ臭いのだがとてもなつかしく、うらやましい気持ちで見終える。それはあなたのあこがれよ。男に媚びる女のずるい姿ね。と酷評される。あれはあれでかわいいと思うんだけどなぁ。かわいらしく、懐かしく、あまずっぱく、二度と再体験できないセピア色の記憶も甦って、ちょっぴりセンチメンタルな気分に浸っていたんだけどなぁ
(1/15)
弟が今年成人式だそうな。久しぶりに家族4人そろって夕食を食べる。思い起こせば数年前何が成人式だ、なんでネクタイなんかしなくちゃならないんだ。髪が長くて何が悪いんだ、と斜に世間を眺めながら、しぶしぶ参加したのを思い出す。
(1/18)
リチャードギア、ジョディー・フォスターの
「ジャックサマースビー」
を見る。 ラストのリチャードギアの姿に感動。卑怯でや現実逃避、自分な嫌なところの塊を一人の女性に愛されたいがために必死に更正して自分なりに一本筋のとおった生き方をしよう。 死の瞬間にも、泣き叫びたい、震えの止まらない恐怖に負けない勇気を与えてくれる。そんなふうに肯定的に自分を変えたいと思わせるあんな女性に巡り会いたいものだ。(問題発言か?)
(1/19)
「インディペンデンスデイ」
を見ました。壮大なB級特撮映画。とにかくスケールが大きくて、映像もぎらぎらに派手で、大統領までもがジェット機に乗り込んで先頭切って世界中の国をひきいて侵略者に立ち向かっちまう。すごいぜアメリカやっぱりおれたちは世界一だ!7月4日は、アメリカだけじゃなくて世界の記念日にしようぜみんな!!という、ものすごくアメリカ人受けしそうなお話しで、「うわぁこりゃこてこてやな」 と思いながら見ていたのだがパンフレットを見て面白くなってしまった。なんとこの映画ドイツ人の監督さんが撮っているのだ。このあまりにもこてこてな映画でアメリカ人を喜ばせておいて、「やっぱり君たちこういうのが好きなのね、でもね僕はいかにも君らが喜びそうに映画を作って御都合主義で派手なら良くて背いつでも世界で一番でいたがる君らを馬鹿にしちゃったりしているのだよ。けけけけけ」とスクリーンの向こうで皮肉な笑いを浮かべていそうだ。いや、僕としては片頬を歪ませてなうすら笑いを浮かべていてほしいなぁ。そう思いながら見ると数倍楽しく見れますぜ。
(1/20)
京極夏彦の
「うぶめの夏」
を再読する。行き帰りの電車や、寝る前の一時の読書の積み重ねで何だか2、3日かけて読んだせいか始めて読んだ時の衝撃がない。一気に読んだ時の疾走感と酩酊感、違う世界に連れ去られていく感覚を体感できなかったせいか。やっぱり一気に読んだ方がいいんだろうなきっと。
(1/22)
森博嗣
「すべてがFになる」
を購入。気がついたら読み終えてしまっていた。面白い。面白い。面白い。
コンピューターを使ってメールのやり取りやらするのが日常になってしまっている人々が登場するとあっては見逃せまい。
繭八庵
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繭
八
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Eight Cocoon House
Since 1997
by Atsushi Kurata
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