日繭
記八



97年3月ですよ

(3/1) 北村薫の「空飛ぶ馬」を2月19日以来だから12日ぶりに再読する。 この約2週間弱の間に創元推理社から出ている北村薫の作品、女子大生の「私」と落語家「春桜亭円紫」の4つの物語もすべて一気に読み終えていた。その作品群から強く感じたのが作者北村薫の人を見つめる暖かなまなざしだ。僕もこんなことを感じながら生きていた、と言葉にならなかった思いが言語化されて表現されている喜び。戻らぬ過去への追憶と郷愁。

ことさら感傷的に描かれているわけでもない。些細な日常のひとこまを鮮やかに 切り取り、忘れていた感情を思い起こさせてくれる。時たま陥ってしまう無気力、無感動、無関心の「うつ」状態でさえも救ってくれるのではないかと思わせる人間という生き物への愛情と信頼。そんなものを信じさせてくれる作品だということを再確認した。 こんなはなしが読みたかったんだよ。


(3/2) 先週に引き続きまたもや銀座を歩く。少し肌寒い、曇りがちの空模様ではあったが時折雲の切れ間から除く高く青い空と、少し大またでちゃきちゃき歩くとからだの内側から燃えてくる温かさとでちょうど良いくらいの気持ちの良い散歩日和だった。

「銀座おいしいお店」のたぐいの小冊子でチェックしておいた「こはく館」という喫茶店にはいる。まず雰囲気が気にいった。濃い茶を基調にした内装とすりガラスのランタン型の照明から届く黄色い明り、インテリアとしてだろうか、大小さまざまの年期の入ったように見受けられるコーヒーミルが飾られている。こういういかにも!という雰囲気に僕は無茶苦茶弱いのだ。当然売り物であるコーヒーへの期待はいやがうえにも高まる。

頼んだのはプレンドコーヒー、550円。たまごの上三分の一を切り取って飲み口にしたような少し細身のカップに入ってコーヒーが運ばれてくる。苦味の効いたいい香りが漂う。一口含み、飲み込む。むむむ、なかなか旨い。僕のなかの一番の喫茶店のコーヒーと比べると多少見劣り(味劣り?)するが苦味と甘味がしっかり効いていておいしい。 うふふふふ。これはなかなかいいお店を発見してしまったかもしれない。 銀座に着たときにコーヒーをのみに来る候補に推薦。幸せな午後の一時を過ごしました。

ちなみに銀座で一番旨かったと感じたのは某○○ービルのなかにある窓際の喫 茶店。ここはケーキもおいしかった。


(3/3) マックユーザー3月号のお尻のほうに乗っていた記事をまねしてデスクトップ周りの環境の整理をする。特別新しいアプリケーションや機能拡張書類などをインストールするのではなくごくごく日常的なアイディアで画面がすっきりし整頓された風に見える。実際、見ためもいじった感触も以前と比べて洗練された気もする。アイディアとしてFINDERまわりの使いやすい環境設定。ウィンドウの開く位置と大きさを決めてやって、画面を広く使う。

たとえば画面を4分割だとか6分割大きさにウィンドウのサイズを決めてやっ て左上に一番上の階層を置きそこから新しいウィンドウを開いていった時にそ れぞれが重ならないでモニタ上に4分割なり6分割なりして表示されるように 調整してやるということだ。これまで無造作にウィンドウを開き「あっ重なって後ろにまわっちまったい」「ウィンドウが全部かさなっちまってなにやらわからぬわい」ということを日常にしていた僕にとってはこれはものすごく効果のある環境調整であった。

「夜の蝉」再読 「朧夜の底」「6月の花嫁」「夜の蝉」の3編からなる中編集。 「本」への深い愛情と探究心を感じた。 「6月の花嫁」「リスに準ずるもの」というのが面白い。


(3/4) 昼飯は牛丼。5分ぐらいで食っちまって、ブロードウェイの本屋さんへ。「秋の花」北村薫の2読目が帰りの電車で終わってしまうと予想して次に読む本を探しに来たのだ。とは云っても心の中ではあれを買おうと決めていた一冊があって、そいつの置いててある棚までわき目も振らずずんずんと歩いていく。腰のあたりに平積み用の台があってそのうえにハードカバーが横40冊×5段程の大きな本棚になる。その中からお目当ての一冊「水に眠る」(またしても北村薫)を取り出そうと手を延ばして気がついた。昨日まであったそ の本が無い!この2週間ほど北村薫コーナーは、「順々に読んでいってやるぞ」と毎日覗いてチェックしていたので昨日まであったのは間違い無い。しかもこの2週間というもの棚から減っていったのは僕が買っていったものだけでこの棚の北村薫作品は僕がいただいたなんて思っていたのだ。

がーががーん・がーががーん・がーががーん・・・ 頭の中で残念でしたの鐘がなる。


(3/5) 若竹七海(わかたけななみ?)の「ぼくのミステリアスな日常」を読む。なんだ か最近東京創元社の本ばかり買っている気がするなぁ。

人が不可解な状況で殺されたりするのではなく、日常のふとした瞬間に訪れる 不可解な非日常の世界。どこにでもある人間の心の働きの不思議さ。一歩足を踏み出せばいつでも観客から自分が登場人物になりかねない、そんな話を僕は望んでいるのかもしれない。


(3/6) Mr.Childrenのニューアルバム「BOLERO」を買う。仕事帰りによく寄るCD屋さんでは千円買うごとにサービスチケットをくれて、5枚たまると300円、10枚ためると1000円割引してくれるのだ。今までCDを買っていたどのお店よりチケットを集めたときの割引率がいいので欲しいCDはここでせっせこ買っているというわけ。

このほかに中古専門のお店も2件ほどあって、中古屋のほうは、滅多によらないんだけどたまにふらっと入っては、なんかいいものないかなぁ、と探しております。ここしばらく探しているのが斉藤由貴「LOVE」。でもこれは普通のお店でもいつも探しているもの何ですけどね。

大学1年の時だからもう4年前に、一人暮ししている友達のところで一晩中飲んで騒いで楽しんで、興奮も高揚感も去った空も白々とあけ始めた時間帯に男3人が聞き入った曲の入っているアルバムなんです。どこかで見かけたらぜひご一報下さい。


(3/7) 幼稚園の時、「夏休みの絵日記帳」って作るじゃない。作るって云ったって親の手の入った、『誰々の母監修・「絵と文字」のようなもの、遊んだ場所云った所のチケットやチラシ等様々なものを集めて張り付けてみました作品集』ってあるでしょう。

その作品集に「銀河鉄道999」のチケットが貼ってあるのですよ。年中さん か年長さんだから4才か5才のときだよね。僕の記憶の一番最初にある映画がこの「銀河鉄道999」で一番初めにこの人きれいだなと思ったのが「銀河鉄道999」のチケットのメーテルの顔だったりするわけ。

テレビ版の「哲郎の思いを乗せて銀河の大海原を999は走る。」とかいうナレーションや「汽車はー闇をぬーけてーひかーりのうーみへー♪」のオープニングは、もう原初体験と云ってもいいほど僕の中に深く深く刻み込まれていて、第一話なんかは何度見てもジンときちゃって一人じゃないと恥ずかしくて見られなかったりもするくらい。

「初めて見た映画」としては、良く覚えていても内容はテレビ版が僕の記憶のほぼ全てで映画版の物語はうろ覚えだったりしたのですが、ふと見てみたくなって借りてきました。で、不覚にも涙腺をやられてしまいました。映画だと哲郎がテレビ版よりも少し年齢が上で見るからに「少年」なんだよね。対するメーテルって、哲郎にとってはおかぁさんみたいな人で、素敵な憧れの年上の女性でもあって、肉親に抱く物なのかそれとも異性に対する物なのかどちらともつかない愛情の対象じゃないですか。

その愛情は旅を続ける間に、哲郎が庇護される側から護る側に成長したのに符合するように、異性に対する思いに変化したと僕は思うんだけどね。機械化惑星を破壊して地球まで戻ってきて、一緒に住もうと云う哲郎から去るメーテルの別れ際の台詞、「私はあなたの記憶のなかでだけ生きていく女」メーテルの乗った999を追いかけて線路を走り、遠く遠く夕焼けの向こうに飛び去っていく999を見つめる哲郎の姿とダブってゴダイゴのエンディングテーマ。何十回も聞いたり歌ったりしてきたけどこの時ほどゴダイゴの999に心を動かされたことはありませんでした。


(3/8) 「レジェンド・オブ・フォール」を借りてくる。ブラッド・ピットが主役のあまり面白くなかった映画だった。第一次or第二次世界大戦のころ(この記憶のいいかげんさが情けない)のアメリカの田舎町が舞台。ではあるのだけれど、すべてが主人公のブラッドピットの良いように話が進んでいくので何だか日本のアイドル映画を見ているような気分。ワイルドな存在感のある役者だと思っているので「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の吸血鬼役や「セブン」の刑事役のような底の深い役のほうが面白かったなと感じた。近々公開されるハリソン・フォードと共演した「デビル」がどんなものか楽しみだったりします。


(3/9) 良み終えた後に「面白かった」「良かった」と言える本は何度読んでも面白い。二読、三読と繰り返していくと最初には気がつかなかった箇所で心を打たれることが多い。なぜだろう。一度出版された物語はよほどの理由が無ければ一言一句変化しない。ましてや購入した物においておや。だ。それはきっと読む側に問題があるのだ。その物語を読んだときの年齢、季節、天気、家庭の環境、学校や友人との関係、自分の興味、関心、精神状態・・・・・ETC読む自分の状況によって物語の中で自分の心の琴線に触れて響くところが変化していく。そんな読書の経験の中から、法則のようなものが浮かび上がる。困難に陥ったときにはこれ、きれいな表現に触れたいときにはこれ、現実を遠くはなれ物語の奔流に身を任せたいときにはこれ。そんな見極めというか、道標の様なものができてくる。これから生きていく中で何度でも何度でも僕はこの人の小説を読んでいくのだろう。そんな作家にまた一人出会えた。


(3/10) 「河童の覗いたインド」「河童の覗いたトイレまんだら」などで有名な 妹尾河童の初の小説と呼び声高い「少年 H 上巻」を読んだ。 昔から大好きな人で「河童の覗いたヨーロッパ」なんていつまで見てても飽きなかったし、河童さんのふかん図の影響受けて僕の部屋もまねして描いて見よう、って挑戦して何度挫折したことか。

「河童の覗いた・・・・」シリーズの非常に細密なスケッチの数々。とにかくものすごく良く見てるのよ。トイレの中の立体図を描くとしたら、トイレの中にある物の寸法をすべて計ってきっちり縮小して描いてる。本が10冊並んでいたら10冊。そのうち一冊が倒れていたら、倒して。何でこんなところまで描いてるのってくらいの描き込み。一番びっくりしたのが「タイルの向きから枚数までぴったり同じに描た。」っていうところ。 そんな河童さんの多少変質的な飽くなき好奇心と執念のルーツがよーくわかる。そんな小説。借りた本なんだけど借りたその日のうちに下巻も借りに行ってしまいました。



繭八庵
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Eight Cocoon House
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