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屁理屈 Kaikou.

ムカツイちゃうモん!




  ずっと以前のことになるが、

「ムカツクぜ!」

  というタイトルの本がヒットしたことがあるのを憶えておいでだろうか。どうもこのタイトルに「ぐぐっ」と心惹かれた人は多いらしく、たいそう売れたのはもちろん、タイトルだけなら誰しも知っているほどに、この本の知名度は高い。一時期かなり話題になった記憶があるから、よほど人々の心に訴えかける題だったのだろう。誰しも、心当たりがあるからだろうか。しかしこの本が売れたことをあげるまでもなく、右と左を見回せば、世の皆々様はみんなそろって、たいてい誰もムカツイているのが見て取れる。心当たりが・・わたしにだってあるくらいだ。

  だが、我々はみんな揃いも揃って、いったい何にムカツイているのだろう?

  ムカツク、とは子供達の使う言葉だが、今ではそれこそ子供から大人から、よく見ると老人に至るまで、雁首揃えてムカツイているのは何故だろう。

  ある時は女子高生が仲間の話に「ムカツク!」と言い、ある時は中年の婦人がパート先の同僚の話であろうかああいう態度って「ムカツク!」と言い、ある時は背広を着崩した大の大人が、これは取引の話であろうかああいうやり方は「ムカツク!」と言い、ある時は小学生の集団が同級生の噂に花を咲かせて「ムカツク!」「ムカツク!」とムカツクことに持ちきりである。

  あちらもこちらも、ムカツクことに日々忙しい。

  いったい我々は、何に対して、何故、ムカツクのだろう?

  つまらぬことをつらつら思うに、それはたぶん、たいていの人にとって自分たちの生きる現実が、彼らの持っている「話」と違うからである。

「話が違う」から、我々はみんなムカツイているのだ。

  云ってみれば、

聞いてねェよ

  というところである。

  我々の出会う、あるいは見かける人々の行動が、一つとして同じもののない価値観の万華鏡のような人の世のカラクリが、我々の心の中に育まれた「想定」と違うから、我々は皆、ムカツイているのだ。

  電車に乗ったら(レストランに入ったら、でもなんでもいいが)みんなこういう風に振る舞う(のが本来あるべき姿の)「はずだ」

  友達とはこういう反応をするものの「はずだ」

  人々はこれこれこういう風に行動する「はずだ」

  世の中はこれこれこうなっている「はずだ」

  物事はこれこれこのように進んでいくものの「はずだ」

  と個々人が思っている想定が、誰しも心の中にある。

  期待という物語である。それは同時に世界観という物語でもある。

  自分で選び取って定義したものもあろうし、文字通り聞かされてそれを受け継いだ(自分の定義の中にコピーした)ものあるだろうが、ともあれ人々の心には、世のあるべき姿があるいは明確に、あるいは意識せぬとも朧気に描き出された絵が描かれている。

  その絵の通りにこの世の中はあるものなのだと、それを持つ人が信じている図があって、それを基準に人は行動をする。

  当然、自分同様、他の人々もおおむねそれに近い行動をするか、そうするのが(その人には)本当だと思われ、あるいは自分の周囲を含めた世の中はこうあるべき「はず」で、そうあらぬのはおかしいと、生きる人々は皆思っている。

  そして無論、それは多くの場合、そうそうすべての現実に合致するものではない。人々は生きてゆく中で無論そのことを学習してゆくが、だからといって、その想定した話が絶えることはない。人々は絶えずその話が現実になることを期待して生きている。そうであるべき世界をこそ、自分は生きている「はず」だからである。人々は、いや人間は、幾つになっても、世の中に当然そうあるべきだという期待をかけ、そうあってくれなければおかしいと思う赤ん坊から成長などしない。落胆の連続が、対処法を変えるだけである。しかして他の人も皆、それぞれに違う「話」を持ち、違う物差しでやはりそう思っており、それらはせいぜい一部しか一致しないので、みんながやはり落胆して、我慢を重ね、それでもなお自分の「話」を変えるまでにはゆかず、話が違うと戸惑った末についには些細な不一致にすら 信じらんな〜い♪ ということにあいなる。

  ムカツク、わけだ。

  何度落胆しても、幾度がっかりしても、人はその「話」を捨てることは出来ない。その話の中をこそ、自分が生きているからである。そうあるべきと思う指針がなければ、人は生きてなど行かれない。たとえ、「話が違う」と思っていても。

  反抗期の(妙な言葉だが)少年少女でもない限り、いい大人ならたいていのことには感性が擦り切れていて、多くの事例はまぁしょうがない、と思ってはいるのだろうが、それでもやたらとムカツイているところを見ると、強い期待は隠せない。我慢に我慢を重ねているのが、裏目に出ているのやも知れぬ。世の、人のあるべき姿をそれぞれに思い描いて、人は裏切られ続けては、やたらムカツイてばかりいる。

  極端なことを言えば、自分の期待に沿わない限り、人は限りなくムカツクのである。ちょうど、思い通りにならないことには、おしなべて皆泣き叫ぶ赤ん坊のように。

  だからムカツクのにはキリがない。そしてまったくムカツカぬわけにも行かない。我々がムカツクのは、人の、人である道理なのである。

  まことに厄介な生き物なのだ、我々は。

  さて、では我々は、それじゃあそういうことでと、日々ムカツイてゆけば良いのだろうか。だが、それもずいぶんツマラナイ話ではないか。

  そこでまたつらつらと思って、これから変なコトを書き始めるので、皆さま心の準備をしていただきたい。

  変な話を始めよう

  ムカツイてばかりいるのも嫌だから、一つの仮定を考えてみる。

  寿命に関する仮定である。

  仮に、の話だが、あなたがあと三年しか生きられないと仮定してみる。(なにそれヤダ、と思ったあなた、スマン)

  原因はなんでもよいし無くてもいいのだが、とにかくあと三年であなたは死んでしまうと考えてみていただきたい(別に五年でも、二年でもよいのだが)。

  三年後に死んでしまうことが、あなた自身にわかっているとしたら、あなたはどう思うだろうか。

  あと三年?  じゃあお金を使ってその三年を遊んで暮らそう、と思うだろうか。それとも、あと三年の歳月を悲観に暮れて泣き暮らすだろうか。それとも、すっぱり心を入れ替えてどこぞの宗教に入信したりなんかして勤労奉仕や慈善事業に精を出すだろうか。それとも、捨て鉢になってあたりかまわずムカツイて回るだろうか。

  勘のいい方はもうお気づきだろう。

  自分の人生があと三年しかないとするなら。

  ムカツイているヒマなどないのだ。

  どうするのであれ、そうと仮定するならあと三年である。なにをやっても、どう過ごしても、あと三年だ。限られた日々を、ムカツイて暮らすほどもったいないことを、誰がするだろうか?

  まぁ、世の中の人は千差万別だから、「おぉ!  俺は毎日ムカツイて暮らすぜ!」という御仁もいないとは限らぬが、普通に考えれば、ムカツいている時間など、馬鹿馬鹿しくて持っていられないではないか。

  ましてこの仮定の上に立って、あなたに諦念と覚悟ができあがっているとする。そうと、さらに仮定してみる。(難しいだろうか?)

  なにをかいわんやである。

  あなたは、馬鹿馬鹿しすぎてムカツクこともできないだろう。そう、命限られた身に、ムカツクことは馬鹿馬鹿しいのだ。そこまでの覚悟を持ってなら、人は自分の物語と世界との齟齬を感じ続けていてさえ、ムカツクことには、気が乗らない。ムカツクという感情に対してだ。

  変なことを書いていると、やはりお思いになるだろうか?

  そんなことをわざわざ仮定して生きたりはしない、と思われるだろうか?

  だが、勘のいい方はこれももうお気づきのことと思うが、

  三年でも、十年でも、五十年でも、違うことなどありはしないのだ。

  いずれ限られた身ではないか。ただの一人の例外もなく、誰しもに来る死を覚悟してみるならば、ムカツク暇などありはせぬ。より緊迫して三年後、と覚悟してみれば、感じられるだろう。

  ムカツク暇など、あなたにはない。

  ムカツイていたいなら無理にとは言わぬが、ムカツク暮らしがイヤならば、ちょっと思ってみなさるが良い。

  あと三年しか、あなたが生きられないのだとしたら?

  どんな希望も、どんな理想も、どんな夢も、あと三年なのだとしたら?

  あと三年しかない!  と苛ついてみたり、焦ってみたりするだろうか?

  いっときはそうかも知れぬ。だが、あと三年を覚悟するなら、焦ってみても、苛ついてみても仕様がないとやがて気づくだろう。

  その後の日々に、どうしてムカツク余地のあり得るだろうか。

  それは、受け流すことのできるものなのだ。

  大きな世話だが、ムカツク暮らしも楽しくあるまい。

  やってごらんと勧めるのも妙だが、ムカツかざるを得ない我々の人生の、それはおそらく、一つの対処法なのである。

  なに、そう思ったところで、何か減るものがあるわけじゃない。脳天気さすら、減ったりしない(試してみるがよい)。百歩譲って仮に減ったとて、死ぬ事実に変わりのあるものではない。減ったところで、しょうがない。

  愚か極まる出来損ないのお猿さんたる我々にとて、楽な生き方の見つからぬわけではないのだ。

  まだムカツキますか?

2002/11/25




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