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屁理屈 Kaikou.

ポジション




  人間は自らを<位置付ける>動物である。

  人は皆、その世界像の中に自分を位置付けて一生を生きる。

  認識した世界の中に、自分のポジションを決め続けて、人間は一生を送るわけである。

  この<ポジション>は、生活する人間個人の重大な関心事の一つである。ひょっとしたら、最大の関心事であるかも知れない。自分は(彼の認識した)世界のどのようなポジションにいるのか。自分で解釈して決める事柄であるくせに、それはそれを意識する個人の快、不快、幸福感すら左右する。

  タチの悪い話だ。

  だが、このポジションこそ人を左右するものだ。

  周囲の人間との関係における自分のポジション(の意識)、人間社会全体に対する自分のポジション(の意識)、世界(事象全体)の中での自分のポジション(の意識…ってそこまで考えるヤツは希だが)。

  自分の好きな人々(事柄)に対する自分のポジション(の意識)、自分の嫌いな人々(事柄)に対する自分のポジション(の意識)。これらすべてが人をしてそれに幸福を感じさせ、あるいは不満を感じさせるモノの正体である。

  自分のポジション、そしてそれを決定する、(実は自分自身による)「位置付け(ロケーション)」。それこそが、人の人生を幸福にも不幸にもする要であり、人がその人生で繰り返し行い続ける「人間の営み」そのものなのだ。解釈と定義(無論ここには、その前提となる世界(像)の解釈と定義がまず一番に含まれる)。位置付けとその吟味、吟味した結果の満足と不満の評価。そして再度の解釈と定義(不満の場合は再定義の模索、満足の場合は定義の強化)。人間がその人生で行うことは、実はたったこれだけだ。

  人間らしい、実に人間らしい話ではないか。これこそが人間だ。良いも悪いも無い。この営みこそが、人間個人なのである(そして個人でない人間はいない)。

  環境を認識する。認識した環境と、自分との関係を思考する。そして環境の中に、自分の位置を定義する。そして定義した自分の位置を自分自身として生きる(つまり<自分>とは、この環境に対する位置付けそのものなのだ。だから変化し、ゆらぎ続ける)。

  あなたも私も、ポジションの意識を持っている。それぞれが認識した世界像に対する、己の定義である。そしてそれは日々新しい情報に洗われて、日々再定義され続ける。あなたも私も、毎日その定義を更新し続ける。そして一喜一憂し、幸せになったり、不幸になったりする。そうしている内に、日が暮れる。いつか世界が終わる。

  あなたも私も、そういう生き物である。

2000/07/11




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