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つくづくやなタイトルだなぁ


ベイ、F、M、せぶん、ね〜〜い♪


  最近すっかりFMリスナーになってしまって、おかげで J-POP に偏った音楽ばかり聴いている。
  アジアンカンフーに始まってプシムにビリケン、ノウバディ・ノウズと聴きまくりである。最近の歌謡曲(←おっさんの理解力)も元気が良くてよろしい。
  上戸彩嬢が唄っているのでやる気が出てきたりなんかして(なんの)。80年代も良いが最近も、90年代や、ついこの間までと較べて、ずっと元気良く、そこそこ前向きに唄う歌謡曲が増えていてオモシロイ。まるで戦後の成長期のようだ、と思ったわたしの理解は間違ってますか?(笑)
  DJ達も昔よりずっと感じが良くて根本が明るい。思えば90年代はDJ達すら根っこがみんな死んでたなぁ、と思うのは気のせいかも知れないが、時代の実感としてはそういう感じだったんだから仕方がない。世紀末の90年代は無力感の時代だったのだ(と思っている)。してみると確かに世紀末だったわけだが、21世紀がやってきてみると、なにか全てが不思議と前向きに、まるで大きな大きな車輪がぐらりと動き出すように、時代が力強く動き出しているような気がしてならない。
  そしてわたし本人からも、不思議と90年代の無力感は消え去って、じわりと前に進み出す奇妙な力を感じる。世紀末には、なにもかも八方塞がりの、ずいぶんと嫌な時代に生まれたものだ、と思っていたが(そしてまたマスコミやフィクション達も、そうした空気をよく煽っていたものだったのだが)、いまは奇妙にこの時代にいることを面白がっている。なにか悪夢から覚めて、ぼんやりとおぼろな朝の空気に包まれているような感じがするのはわたしだけですか?  そんなことはないと思うんだが。
  ねじれた巨大な板バネがゆっくりと元に戻って、再び力を溜めようとしているような空気を感じる。唄に、それは現れているような気がするのだ。
  もしかして、もしかしたら、わたしたちは、世紀末の黒い雲の中から抜け出したのかも知れない。あのどうしうようもなく投げやりな、暗い未来しか思い描けない行き詰まった世界像は、若い連中の無邪気な唄声によって、紗を払うように拭い去られていくような気がする。時折サザンの新しい、脳天気で自分中心の偏執狂的な湘南の唄が流れてくると、ひどくそれが古くさく、時代にそぐわないささくれのように聴こえて仕方がない(ファンの方ゴメンナサイね)。あの時代は終わったのだ、とサザンが教えてくれているような気さえするのだ。わたしはそれを爽快に思う。あんな時代は終わって良いのだ。サザンとユーミンが象徴する、あのせせこましく自己中心的なみみっちぃ時代は。
  わたしたちが一生懸命忘れていた、未来への意志を、子供達(といっては失礼だが)が唄って教えてくれている。タイヘンだけど、前に行きましょう、と彼らが唄っているように聴こえてならない。
  嬉しいじゃないか。良いぞ子供達(←まだ云ってる)。
  大衆音楽はそれで良い。近頃の子供達(←まだ云ってる)は頼もしくてグッドだ。
  そうして、出勤するとわたしはラジオのスイッチを入れる。合わせっぱなしの BAY-FM が流れ出して一日が始まる。J-POP が流れ出し、薄明かりの21世紀が明けてゆく、ような気がする。唄が時代の象徴であるならば、どうやらわたしたちは、明るい未来に、たどり着いたのじゃなかろうか、と、そう思えてならない。

そんな気がしませんか?(2004/06/27)




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