近頃はテレビドラマの影響とやらでカップヌードルが売れているそうなのだが、流行につられて買って食べてみると、これがちょっと困惑してしまうことになっちまいました。
記憶と味が違う。辛いよコレ。
昔よりずっと辛い味付けになっている。こんな味の食品では・・・・なかったはずだ。
決して記憶違いではない。子供の頃や、紅顔の美青年だった若い頃の夜中に食べた、あの美味しい美味しいカップヌードルは、間違ってもこんなに辛い味ではなかった。
昔はもっと美味しかった!
カップヌードルの味は基本的に醤油味とトロみが効いていて、少しのスパイスがそれを引き締める味だった。旨味が十分に感じられる味付けのものだった。
まずはじめに旨味が舌を興奮させ、醤油が麺の甘みを引き立て、トロみの中に、少しのスパイスが鼻薬を効かせる、そんな味だった。
なにぶん古いカップヌードルなんぞ持っていないし、持っていたとしても、味比べのために試しに食ってみようとは思わないが(死にたくない)、それでも味は舌が覚えている。
スパイスが最前面に出てくるような味付けでは、決してなかったと思う。
現在売られているカップヌードルの味は、まるで、なんにでも大量のスパイスをかけないと味が感じられないという、味覚のブッ壊れたイマドキの哀れな若い人に合わせたかのような味付けなのだ。
味覚破壊者が開発陣の中に混じってでもいるのだろうか?(憶測)
それでは、正常な味覚の人間には美味しく感じられるわけがない。
まるでスパイスを味わっているかのような味つけでは、あの精妙なカップヌードルの美味しさは決して引き出せない。
我々の知っている、あの、カップラーメンの美味しさは、もはや失われてしまったのだろうか?
数多くの懐かしい物事と共に、カップヌードルの美味しさも、記憶の彼方に消えてゆく悲しい運命の途上にあるのだろうか?(←大袈裟)我々はもう二度と、あの、美味しいカップヌードルを味わうことは出来ないのだろうか?
いや、そんなことはない。
現在のカップヌードルの味付けが、仮に味覚を破壊された若い人向けのものであるとするならば、それもまた商品開発の一つの正解なのだろう。だが唯一の正解ではない。
そうでない層、昔のカップヌードルの味を期待している層もまた、市場に存在しているのは確実だからだ。
しかもそれらは主に団塊の世代である。この世代はなにせ数が多い。間違いなく大きなマーケットになる。
現在のカップラーメンの味は、この大きな購買層を切り捨てる可能性を隠し持ったバッドアイテムになり得る可能性を持っている。この層が喜ぶ味付けではないからだ。彼らは(我々だが)この味を、喜んで買いに行くことはしない。
もったいない。実にもったいないではないか! 自ら儲けを棒に振るなんて!
そこで、だ。
若い層に売りたい、という志向は十分わかるので、この層には現在の味付けで、【ちょっとスパイシー・ヌードル】としてこのまま売る。なんならもっとスパイスをブチ込んでスパイシー・ヌードルを作っても良いかもしれない。わたしは買わないが。
だがこの商品を、これからの人口の多くを占めることになる巨大市場、団塊の世代は喜ばない。彼らの(我々だが)知っているカップヌードルの味ではないからだ。
だから団塊の世代の知っている味付けのカップヌードルを発売する。
【カップヌードル・クラシック】である。
あの懐かしい味をもう一度。昔の味のカップヌードル、新発売(←矛盾)。
この商品なら、団塊の世代をハートを撃ち抜く(←死語)こと疑いなし。ズッキュンドッキュン(←死語)である。
イヤ売れるって! レトロなものはみんな売れるから!
団塊の世代はとにかくいっぱいいるんだから!
てなわけで日清さん、【カップヌードル・クラシック】、発売して。
環境保護の時代だから、透明なプラスチックのなみなみフォークを付けてとは言わないけれど、新素材なら、どうかな?
どうせカップヌードル開発者のドラマがウケている(いた)のなら、発売当時の味付けで再発売するのは、まさに商機だと、思うんだけどねェ(←素人考え)。
ていうか昔のカップヌードルが食べたいです。 (2019/04/11)
<追記>
あっさりおいしいカップヌードル、っていうのがあるヨ! と教えてもらったので、出歩く機会を捉えて都会っぽいお店で探して買ってきて、食べてみました(←田舎の商店には置いてなかった)。
確かにあっさり薄味なンですけど、醤油も薄いがついでにトロみも薄い。そしてやっぱり舌にスパイスがクドく残る。というわけで、残念ながらこの味でもなかった。違うンだなぁ・・・。食べたいなぁ・・・昔の味のカップヌードル。
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