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ちょいと文体が硬くなっちまいました。読み難かったらごめんなさいね。
たぶん、誰も知らないだろうからこの話は面白くも何ともないのだろうが、その昔、管理人が主にダれていた八十年代にTAOというバンドがあって、その頃のテレビ番組にCMに、当時の歌謡音楽では珍しかったバイオリンを使った歌を披露してブイブイいわせていたのだったが(いわせていなかったかもしれない)、その後彼らの名前は表舞台に轟くことなく時代は九十年代を迎え、管理人はますますダれ、やがて二千年を迎える頃にふと思い立って探してみると、もはや彼らの音楽は市場から霧のごとくにかき消えていた。無論のことCD化もされていない。
ないとなると欲しくなるのが人情である。当時唯一手元にあった彼らの残した一枚のシングルレコードのメロディを思い出す度に、
「あぁ、彼らの他の音楽はどんな音を出すのだろう? どんな唄を歌っているのだろう?」
と憧れることしきりになった。
とはいえ無いものは手に入らない。昨今流行のヤフオクにも名前がなかったので、これはもう聴けない唄なのかなぁ、と少々淋しく思っていたら、時期というものはあるものでこの度、突然三枚のシングルと一枚のLPが出品されているのを発見して速ゲットしてしまった。
一方は激安で、一方は高価かった(たかかった)し、初期のシングルとファーストLPであるからダブリもあるだろうとは思ったのだが、他に見つかることもないだろうからみんな買った。マイナーすぎるのか競合する入札者の一人も現れなかったので、さくっと落札の上、送られてきたそれを早速安物のターンテーブルに載せてみた。
シングルレコードのジャケットにはやれどこそこのCMソングだ、やれどこそこの作曲家が曲を提供したのと書いてある。そんなことはどうでもいいから早く彼らの音楽を聴きたい、と待つことしばし(私のターンテーブルは動くのがとても遅いのである)。
ぽつ、ぷつ、と古物らしいノイズを交えて流れてきた、一枚のシングルでしか知らなかった懐かしいヴォーカルと独特のテンポは、まさに彼らの音だった。特徴的な速弾きバイオリンも入っている。しかも彼らは、やっぱり唄を英語で謡っているのであった。
次々と流して聴いている内はあまり印象に残らなかった(正直すぎるかも知れない)。しかし、せっかくだからノイズ混じりのままMP3に変換しようとWAVレコーダーを通すべく何度か聴いている内に、不思議とリフレインの英語が耳に残って離れなくなった。
エンコーダーにかけて、ファイル化して後に眠りに落ちても、目覚めても、彼らの音は木霊していた。
無性に聴きたくなって、数日の内に何度も何度も聴いた。
なるほど、コレはヒットはしない、と思った(スイマセン)。
ヒットする唄は、第一印象が全てであるような気がするからだ(管理人の主観に過ぎないが)。彼らの唄のように、聴けば聴くほど味が出る、鯣(するめ)のような唄は大ヒットにはなり難かろう。
買ったのはファーストアルバムで、セカンドがあるのかどうか知らないのだが、一つのアルバムの中に何度も何度も " Pain " という言葉が繰り返されていて、これが彼らのキーワードであることも初めて知った(管理人のかつて持っていたシングルレコードにはこの言葉は出てこなかったのだ。ゼンゼン勘違いかもしんないけど)。
リズムは結構単純で、ロックというにはややのんびりしている(ここではハードロックを基準にしています)。といってフォークというにはビートルズでありすぎる。そしてバイオリンの鳴るメロディはとても不思議な、聴いたことのない音の流れを楽しませてくれる。二人いるヴォーカルの声は個性的過ぎはしないけれどもやや甘く耳に残る、南蛮のロックバンドの声と聴き紛う良い声である。なによりも鳴き叫ぶバイオリンの弾き方が妙に個性的で、「あ、TAOだTAOだ」とスグわかる(笑) ただし某作曲家が提供した曲(Azur)はバイオリンの弾き方がフツーで、特に彼ららしくは聴こえない、惜しい。
どういうわけか、管理人が昔持っていたシングルの裏(B面ね)に収録されていた、管理人の大好きな子供のラブソングはアルバムには収録されていないのだが(歌詞の九割が日本語だからっスか? それともバイオリンが鳴かないから?)、さらに好きな表の(A面ね)某テレビ番組主題歌はちゃんと別バージョンで入っていてそれも懐かしく楽しめた。もっとも主にパイロットと管制官とのやりとりという効果音を消されたそれは奇妙にも効果音入りのシングルバージョンと演奏の結果がまったく同一に聴こえ、どうも新規録音ではなく効果音を入れる前のテイクがそのまま入っているだけらしいのだがまぁイイヤ。
管理人はどうもアタマの中身が八十年代で止まっているところがあるらしく、この時代の味は忘れがたくおだやかな陶酔とまったりした満足を与えてくれるのである。特に音楽はそうだ。きっとこの頃に感性が作られたのだろう。
そうして夜のしじまに、ノイズ混じりにデジタル音源化された懐かしいバンドの歌声を聴いていると、子供であれ、大人であれ、自分の感受性が作られた頃の事どもというものは、三つ子の魂百までというか、拭い去り難く自分なのだなぁ、と思わずにはいられない。それはほっとする安寧であると同時に、抜け出せない檻でもある。
こうして思いがけなく再び時代の箱を開いてみると、それは懐かしい家の縁側のような、自分の心がその時代に置き去りにされたことの証明のような、現在の自分との違いにびっくりするためのビックリ箱のような、どうにも不思議な気分だ。
皆さんにもそんな瞬間がいつかあるなら、きっと管理人と同じ感慨を持たれるのではないかとゆーふーに思ったりする。
( Yes, I'll remenber the joy and pain ♪ but I still love you ♪)
誰かTAOをご記憶の方がおられたら懐かしく思い出してくらはい。 (2003.08.10)
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