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復活!  魔人V




  Episode.3   ヴィクトールの復活



  ヴィクトールは迷路の道を知っているわけではないようで、ショック状態のケニーを抱えたままあちこちと息荒く走り回り、ようやくいやな気配の薄い、静かそうに見える脇道の窪地に潜り込むと、ケニーを地に下ろし、周囲を警戒してからケニーの前にしゃがみこんだ。

「What happened ?  (なにがあった?)」

  ヴィクトールはゆっくりと区切るように言った。ケニーはしばらくの間大男を前に呆然としていたが、やがてすすり泣きを始め、ついにはわぁわぁと泣き出した。

  ヴィクトールは泣いてばかりのケニーの頭を撫で、抱き寄せて背を叩いてやり、辛抱強く彼の泣きやんで話し始めるのを待った。ケニーはやがたどたどしく、名前と、歳と、ここに至るまでのもろもろをヴィクトールに話して聞かせた。泣きながらするその話はあまり要領を得ず、話題があちこちへ飛んだが、ヴィクトールは時折短く言葉を挟み、頷きながら聞いていた。怪物のくだりでは強く眉をひそめた。

  震え、途中何度も息を止めながら両親の食べられた話をしたケニーはまたわっと泣き出して、ねぇこれは夢なの、夢なんでしょう?  と訊いた。

  いいや、とヴィクトールは答えた。

  彼はケニーの頭に手を置き、しばらくの間、自分がうつむいていた。やがて顔を上げて、ゆっくりと、しかしはっきりと告げた。

  君の両親は死んだ。

  ケニーはひきつけを起こすように悲鳴を上げ、ヴィクトールの胸にむしゃぶりついて、その分厚い胸板を激しく叩いた。動物のような声を上げた。

  それは長い間続いた。

  ヴィクトールは時折周囲を警戒しながらケニーをあやし、やがて少年が泣き疲れた頃にささやいた。

「We go out of this first. Then, you live without father and mother.  (まずここを出るんだ。そして、君は両親なしで生きて行かねばならない)」

「It is unpleasant ! Let father and mother go back !  (イヤだよ!  お父さんとお母さんを帰してよ!)」

「It isn't made in me. You live.  (それはできない。生きるんだ)」

「I can't do it !  (できないよ!)」

「boy ,that was pitiful. You meet an unfortunate experience. But you must live ,you must not lose heart hear.  (可哀想に。だがキミにはまだ人生がある。ここでくじけてはいけない)」

  ヴィクトールは大きな手でケニーの頭を撫でた。

「It escapes from this, and you must live.  (ここから逃げ出して、生きなくてはダメだ)」

  ケニーは激しく首を振ったが、ヴィクトールは辛抱強く慰め続けた。しかし、彼は、ふいに厳しい顔になってケニーに問うた。

「Did you really think when parents had only to die?  (お父さんとお母さんが死ねばいいと、本当に思ったのか?)」

  ケニーは違う!  と叫んだ。ヴィクトールはもう一度訊いた。

「Did'nt you think?  (思わなかったのか?)」

  ケニーは肯定した。だがヴィクトールは何度も訊いた。それはむしろケニーが可哀想になるような尋問だった。まるでケニーが心に一瞬、やましい思いを抱いたと、確信しているかのようだった。あの怪物のことを知っているかのようだった。ケニーはまた泣き出したが、ヴィクトールは追及の手を緩めなかった。

  最後に、ケニーは、少し思った、とぽつりと答えた。

  ヴィクトールはやはり厳しい顔でケニーを見つめ、やがてふと表情を緩めた。

「It is'nt good. you must not think of such a thing any more.  (良くないことだ。もう思うな)」

「What is that monster? (あの怪物はなに?)」

「That is the demon who reads a heart.  (あれは心を読む、魔物だ)」

  ケニーはびくんと震えた。

「Don't think that it is cruel any more such.  (そんなひどいことはもう心に思うんじゃない)」

  ぐずってから、Yes、とケニーは答えた。ヴィクトールは顔を曇らせて、

「You lost a family. However, hope is necessary to live. What do you hope for?  (君は家族を失ったが、希望を無くしては生きられない。なにを望む?)」

  と尋ねた。心を弱めぬためであった。

「What thing?  (なんのこと?)

  とケニーは訊いた。

「After it runs away, it is a thing.  (ここを逃げ出してから)」

「It doesn't know such a thing.  (そんなことわかんないよ)」

  とケニーは答えた。

「Hope.(望みだ)」

  とヴィクトールは強く言った。

「Hope, what do you hope for?  (望みを持て。何を望む?)」

  ケニーはいやいやをして何度もわからない、と言ったが、ヴィクトールは許さなかった。何度も尋ねた。ここで心が弱いままにいると、人の心を読み、食い、吸い上げる邪な魔物に出会ったとき、たまちのうちに食われてしまうからだった。ヴィクトールはきつく何度も尋ねた。

  しばらくして、ケニーはすねたように唇を噛みしめて、下を向いたまま小さな声で答えた。

「・・・Family.  (家族)」

「Family ?  (家族?)」

「I hope for the happy family.  (幸せな家族が欲しい)」

  ケニーは唇を噛んだまま、上目遣いにヴィクトールを見た。

  ヴィクトールは厳しい顔をしばらくケニーに向けていたが、やがてにっこりと微笑んだ。

「Well, look for it in the life. You make it.  (人生にそれを探しなさい。君が作るんだ)」

「Do I make it?  (僕が作るの?)」

「It is so. Live the future to make a happy family.  (そうだ。幸せな家族を作るために、これからを生きなさい)」

  ヴィクトールは大きな笑顔を浮かべた。

「Good heart.You have a good heart.You found a good hope.  (良い心だ、良い希望だ)」

  その瞬間、二人に長い腕が襲いかかった。

  腕は強烈な腕力でヴィクトールを突き飛ばすと、ケニーの躰をからめとって奪い去った。ヴィクトールは跳ね起きたが、腕に追いつくとこはできなかった。

  ヴィクトールは窪地を飛び出し、腕の後を追った。腕はするすると迷路を滑るように、ケニーの悲鳴を引きながら暗い奥へ奥へと消えてゆく。本体は見えなかった。勢いを付けすぎて壁にぶつかり、腕をこすりながらケニーの後を追った。

  ところが一つの角を曲がると、腕の主も、ケニーもいなかった。

  消えてしまった。

  ヴィクトールは左右を見回した。真っ暗な壁があちこちへ続いているばかりだった。

  ヴィクトールは走り出した。あちらこちらの迷路に無闇に飛び込み、走り抜けた。

  角があれば勢いを付けて曲がった。

  途中魔物に出会うと、口から吹く酸を避け、手から起こす強い風に抵抗して近寄り、力ずくに殴り倒して探した。

  魔物達はヴィクトールの腕を、胸を、顔を傷つけたが、ヴィクトールは力で殴り返し、あるいは知恵を回してかわし、不敵な笑みさえ浮かべて善戦した。

  しかし、魔物達を殲滅することはできなかった。できることといえば、攻撃を避け、少しやり返し、逃げることだけだった。逃げながらケニーを探したが、どこにもいなかった。次々と魔物達が追ってくるのをなおも蹴倒して逃げ、あちこちにケニーの声を探した。

  いつのまにか、ヴィクトールは血まみれになっていた。魔物達を殴り続けた勇気ある強い右腕は傷つき、痺れ、疲労していた。

  魔物が集まり始めていた。みな、ヴィクトールを目指して寄ってくるようだった。ゆっくりと周囲が狭まり始めた。

  ヴィクトールは仁王立ちに立って、魔物達を睨みつけた。

  そして、静かに呪文を唱え始めた。早口に古い魔法の言葉が彼の口から流れ、周囲の空気が変わり始めた。

  魔物達が前進を止めた。魔法だ、魔法だ、とささやき合う声が聞こえた。

  呪文が整った。

  地、水、火、風、太陽と月と星々の御名において、精霊よ、我に古き魔法の力を再び授け賜え。いにしえの約定に基づき、汝らの裡に眠りし魔力を再び開く。

  ヴィクトールは小さく付け加えた。

  「Now, I will save a child's life with this incantation.  (今度こそ、この呪文で子供の命を救おう)」

  彼は言った。

  チチン!ブイブイ!

  千の稲妻がいっせいに落ちた。地に横の魔法陣、空に縦の魔法陣が浮かび上がり、青い炎を発して燃えた。

  真っ白い光の中から、ヴィクトールが姿を現した。顔は引き締まり、腕にも、脚にも力が溢れ、猛獣のようにしなやかで、巌のように揺るぎがなかった。

  稲妻の光の中から右腕を引き抜いて、抜いたまま、手近の魔物をぶんなぐった。

  魔物から青い光が漏れた。

  取り囲んでいた魔物の群が、一斉に後退した。

  魔法使い!  魔法使い!

  魔物達がざわめき、あるものは稲妻を呼び、あるものは煙を吐き、あるものは手にした武器を構えた。ヴィクトールの早口の呪文が、彼の右手に青白い閃光をまとわりつかせた。魔物達の稲妻が飛ぶと、ヴィクトールは空中に鉄の柱を呼んで地に突き立て、すべてを地に流してしまった。

  ヴィクトールはにやりとして、大笑した。そして片目をぱちりとつむって、魔物達にウィンクの挨拶をした。

  魔法使いだ!  魔法のナイフを使ってくるぞ!

  ある魔物がささやくのが聞こえた。

  いいや、人間は銃を発明した。きっと魔法の銃を使うぞ!

  他の魔物が答えた。

「Knife?  (ナイフ?)」

  ヴィクトールが言った。

「Gun?  (銃?)」

  酸っぱい物を含んだようにヴィクトールは顔中をしかめ、ゆっくりと首を振った。

「I don't use gun. and I don't use Knife. Do you know the source of the magical power? It is a heart.  (銃も、ナイフも使わない。魔法の源を知っているか?  それはハートだ)」

  ヴィクトールは自分の胸を指して魔物達に見せた。

「Then, it is intelligence.  (そして叡智だ)」

  頭を指さして見せた。不敵に笑った。

「Then, it is love  (そして愛)」

  ヴィクトールは目を閉じて神に祈るように天を仰ぎ、今度は胸の全体を手の平で示した。

「and...  (そして・・)」

  ヴィクトールは右腕を曲げて見せた。うねるような太い筋肉が盛り上がった。

「Then it is the

Power !

  (力だ!)」

  青い炎をまとわりつかせた右手で、ヴィクトールは巨大な魔物をぶん殴った。

  電光を散らせて魔物は吹っ飛んだ。倒れた魔物はぱたりと気を失って、動かなくなった。そのまま、青く燃えて白い光になった。

  それを見て大騒ぎし、いっせいに襲いかかってきた魔物達を、ヴィクトールは殴り、蹴り、壁に叩きつけ、歯をむき出して頭から地に叩き落とした。

  魔物達が次々と光になって消えていった。そうしながら、ヴィクトールは、はっとして首を一方に向けた。唇を引き結び、ヴィクトールは見た方向へ突進した。魔物達を引き離し、炎の柱を一瞬起こしてたじろがせた。

  ヴィクトールが見やると、その先には半透明のもぞもぞする壁があった。なかでもがいている人影は、二人の子供のものであった。

  ヴィクトールは呪を唱えた。近寄る魔物を殴り飛ばしながら早口に唱えた。動く青い壁にヒビが入った。子供の手で押されるほどに柔らかかった壁が、粉のように飛び散った。

  ヴィクトールは素早く走り寄って子供達を抱え上げた。視線を上げた先に、洞窟の壁から生えたような、ひからびた人間の上半身が見えた。魔物達がその視線を遮った。

  魔物達の数は少なかったが、両手の子供達がいては、魔物達を魔界に帰す浄化の拳は使えなかった。雷がヴィクトールと子供達を襲った。ヴィクトールは魔物達の間をかいくぐって逃げた。振り返るとよだれを垂らした口がかぶりつこうとしており、子供達の頭や手足を守るのに、ヴィクトールは大きな身をかがめ、上体を振り回して避けねばならなかった。

  雷を落とし、光の矢を飛ばし、あるいは精霊の声を呼ばわれば、魔物達を傷つけ、殺すことは出来た。ヴィクトールの魔力を持ってして呼び出される強大な力は、しかしそうすることでは魔物達を浄化することは出来なかった。それは魔界に彼らを帰すのではなく、殺してしまうからである。ヴィクトールはそうしようとはしなかった。

  そのかわりに、ヴィクトールは自身の魔力を削り、命を削るが何物をも通さない壁を作り出した。分厚いそれは周囲の光景を歪ませるほどで、ヴィクトールの周囲に水の壁のような幕を張った。空気も、光も、何も通さない壁だった。ヴィクトールはそのなかで、もがいている子供達を落とさぬようにしっかりと抱きかかえ、呪文を唱え始めた。ケニーが顔を上げてヴィクトールを見た。

  地、水、火、風、太陽と月と星々の精霊達よ、我が声を聞き届け、汝らの主なる世の種の、かよわき者の生きんとする魂を、汝らが力持てわが呪に替えて抱き守らん。吾が血、吾が魂、吾が安息をもって呪の代償となさん。

  舌打ちのような高速の呪文が始まった。呪文が進むとともに、ヴィクトールの顔が歪み始めた。彼の体が熱を持ち、耐えられない熱さにまでなっていた。血管が脈動し、心の臓が弱まり、破裂せんばかりに彼を蝕んだ。

  壁の中の空気は残り少ない。子供達の吸う空気が無くなる前に、呪文を終えねばならなかった。

  ヴィクトールの極太の腕の筋肉が隆起しきって、血管がふくれあがった。呪文の詠唱が終わり、ヴィクトールの腕に、脚に、数ヶ所の裂け目が走った。熱い血が潮のごとくに噴き出した。同時にヴィクトールは結界の壁を解いた。

  ヴィクトールの血が、暗い洞穴の空中に舞った。赤い血潮が青白く輝き、空気に力を与えた。

  魔物達のあいだから、ひゅうぅ、と空気の漏れるような音がした。彼らの動きが鈍り、眠ったように止まった。

  ヴィクトールは子供達を降ろし、呪文をつぶやきながら腕と脚を掌で撫でて血を止めた。子供達は身を起こし、声を上げられずに大男の背を見ていた。ヴィクトールは凍りついたような魔物達の間を歩きながら、その頭や躰を、今度は別の呪文を唱えながら撫でていった。撫でられるたびに、魔物達は身じろぎし、姿が薄くなり、かき消えていった。血を依代に開いた、目に見えぬ道を通じて、呪文とともに魔物達をその世界へと帰していった。

  すべての魔物達の姿が消え失せたとき、ヴィクトールは大きく息を吐いて、脂汗を流しながら地に腰を落とした。二人の子供が寄ってきて、大男を気遣った。続いて一斉に質問の火蓋を切るのを制して、ヴィクトールはケニーに微笑みかけ、もう一人の子供を行方知れずの少年の名で呼んだ。子供は肯いた。二人の子供は何が起きたのかを知りたがったが、ヴィクトールは安心しろと言うばかりで、なにが起きたのかについてはわからない、と嘘をついた。

  顔を見合わせる子供達を置いて、ヴィクトールは立ち上がった。他の人たちは上にいる、と彼は言った。逃げ出すべきは君たちだけだ、と言って、出口を求め二人を伴い洞穴のあちこちを探して歩いた。やがて見覚えのある通路に出たらしく、ヴィクトールは子供達をせき立てて進んだ。通路の奥では人の話し声がしており、上層の人工の迷路からの光が落ちているのが遠く見えた。

  ヴィクトールは子供達の背を押し、この先で助けを求めるように言った。子供達が躊躇するのを叱って進ませた。

「What are you doing ?  (おじさんはどうするの?)」

  とケニーはヴィクトールに訊いた。ヴィクトールは小さな笑顔を作って、やることが残っている、と答えた。さぁ、早く行きなさい、と子供達を逃がした。そして自分は表情を引き締めると、魔物達の匂いが残る暗い通路を馳せ戻って行った。

  子供達を閉じこめていた壁の奥へとヴィクトールは入っていった。奥へ奥へと進むと、黒光りしているような奇妙な光の満ちた小洞穴に行き着いた。そこに、壁から生えるようにしてミイラのように痩せこけた人間のようなものがあった。人間のような、人間でないようなそれが、ヴィクトールに頭らしいものを向けた。

  貴様がこの魔界を地下に生んだか、歪んだ精霊よ、とヴィクトールは古い魔法使いの言葉で問うた。然り、魔道師よ、とそのものは声にならぬ声で答えた。

  魔道師よ、わが願いを妨げるな、とそれは告げた。小洞穴の壁が、次々とうねる生き物のような細い槍となって伸び始めた。青黒くてかっているのが、奇妙な黒光りの中に見えた。

  願い!  とヴィクトールは顔をしかめた。

  地下に魔物の眷属を増やすことが願いであるのか。

  然り、とそのものは答えた。地に魔の者を産みて増やさん。そは生き物の定めなり。

  否、とヴィクトールは古き言葉で言った。魔の者生き物にあらずして生ける鏡なり。現世との狭間に生まれし者よ、天の六つの階段を、また冥界の五つの道を抜け汝があるべき座に帰れ。この穴より上に汝が生きる座なし。

  禍々しい濃厚な気配を放ってそのものは吼えた。壁の伸び続ける洞穴に、空気のちりちりする嫌な匂いが満ちた。

  何の故に吾が望みを遮るや。魔道師よ、うぬに裁く意味のありや。

  吾が意志にて世に満ちるものを信じ裁く、とヴィクトールは答え、続けて問うた。

  何の故に子供達を拐かししか。

  食う。

  とそのものは即座に答えた。

  魔力の器を備える命は希なり、そは我が滋養なり、甘露なり。

  ヴィクトールの目がきつく細められ、彼は重ねて問うた。

  地上に出て、魔力を備えし命あらば食うか。

  いかにも。もし魔力在りし命のあふるるならば、地上こそ我が楽園に他ならず!

  そのものはからからと不気味に笑った。

  汝、愛を知るや、とヴィクトールは問うた。

  愛!  奪い、味わうに愛は要らず、とそのものは答えた。ヴィクトールの口がへの字に引き結ばれた。

  汝、地、水、火、風、太陽と月と星々に満つる魔力の故を知るや、とヴィクトールは問うた。

  そはあずかり知らぬ神が我に与えたもうた器なり、とそのものは答えた。ヴィクトールの目がさらに険しく細められた。そのものは乾いた声ならぬ声で大笑した。ヴィクトールの魔力が右の拳に唸りをあげて宿った。それは洞穴に満ちるすべての障気に負けぬ青白い力であった。

「No. (違う)」

  とヴィクトールは英語で言った。

「It is love.  (それは愛だ)」

  壁から伸びた槍の先がいっせいに何かを産み始めた。岩の先が生き物になり始めていた。岩の破片が鋭い音を立てて無数に飛び出し、無数の旋風を起こしながらヴィクトールの躰を襲った。ヴィクトールの躰を薄い強風の膜が取り巻いた。左腕に沿って突風が逆巻いた。ヴィクトールは身をかわしながら、その風巻く左腕で岩の破片を次々と撃墜した。すべては避けきれなかった。背を、腹を、脚を、肉に潜り込んで破片が襲った。

  壁のものはヴィクトールに念を込めた。ヴィクトールの躰の内側で、内蔵が激しい痛みに捩れ、細胞が死に始めた。ヴィクトールは破片を避けるのも忘れて地に倒れた。震えだし、血を口の端からこぼしながら、それでもヴィクトールは壁のものをにらんで力を振り絞り立ち上がった。

  地、水、火、風、太陽と月と星々の精霊達よ!

  ヴィクトールが精霊を呼んだ。岩の破片が次々と刺さるのも構わずに、壁際のそのものへと走り寄った。ヴィクトールの躰を真っ白な雷が這い回り、腕の先の青白い光に付き従って生き物のごとくに尾を振った。自身の魔力が皆注がれ、もはや青と白の光の塊と化した拳で、ヴィクトールはそのものの芯を殴り飛ばした。岩の槍がうねり、空気が吼え、風が逆巻いて洞穴が電光に満ちた。冥界への道が開き、塵芥と変わりゆくそのものの痛みと恨みが、自身を冥府へと引きずり込んだ。同時にヴィクトールの魂には、滅ぼしたものの痛みと遺恨とが刻印を打って天に昇る道を閉ざした。彼は昇天できなくなった。





  雷鳴の音を聞きつけて、子供達からまだ中に人がいると聞いてやってきたレジャーランドの職員達がこの小洞穴を見つけたとき、そこには黒焦げの壁と、地に転がる幾十本もの長い煤、そしてなにかよくわからない変色した灰があるばかりだった。

  レジャーランドのアトラクションに施工ミス、落盤事故で子供を含む観客十数人が地下に落下し怪我人多数、行方不明者もあって地下道の落盤に巻き込まれた可能性が高いという報道がなされたのは翌日で、忘れられたのは数ヶ月後だった。

  アーカンソーの祖父母に引き取られることが決まって、ジュニアスクールの手配した空港へ向かうタクシーに乗り込んだケニーは、街を出るときにほんの一瞬、ヴィクトールと名乗ったあの大男を見たような気がした。ピンクのポロシャツを着て、自動販売機の前でなにかを飲んでいるのを見たような気がしたが、その光景はすぐにビルの陰に消えてしまった。

  ヴィクトールは「アリナミン」と書かれた栄養ドリンクを美味そうに飲み干すと、ケニーのタクシーが走り去った通りを眺めた。車はもう、彼の見えないところに走り去ってしまっていた。それでもヴィクトールはしばらくそちらを眺め、やがて満足そうにそっとつぶやいた。

「 Good-bye , A severe recollection. (さらば、辛い記憶よ)
  ダイ、ジョー、ブイ!」

  笑いながら、彼は空き瓶をゴミ箱に捨て、両のポケットに手を入れて、肩でゆったりと風を切って歩き出した。



End of Story.




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