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小生の生まれと育ち,そして将来の希望などを恥ずかしながら述べさせていただきます。(不愉快と御感じの方は,いつでもを押してこのHPより帰って下さい。)

生まれ:

生年月日:不詳。

生まれた場所:多分橋の下とは違う場所。(ウーン,「橋の下」が通じる人は小生と同じ年ごろか,それより御年配の方。<笑>) 兵庫県,神戸市東灘区...(ここまで書くと,大体のバックグラウンドは分かってしまう,のが神戸...。どこでも一緒か)

 

育ち:

ずっと父親の勤務地の都合で神戸市内で育ちました。生粋の神戸っ子です。(そんなに"おしゃれに"見えないとおっしゃる方は,多分,小生のことを余り御存じ無い方ですね。)

神戸っ子とは:本当は神戸っ子などということは「言いたくない」のですが,そもそもがこんなページを作成すること自体が「神戸っ子」の面目躍如たるもの。生まれと育ちは争えませんね。

でも,育った実家は,1995年の1月17日のあの事件で全て失われた。当時の政府の無政策に対して今でも腹が立つ。あの事件で亡くなった方の御冥福を御祈り申し上げます。

1998年の今でもまだ町に傷跡が残っております。誰ですか,震災復興の投資により日本全体の経済成長に正の貢献をするなどと「酷いこと」をおっしゃった方は。個人の方は,家,マンションは潰れてなくなっても,ローンの負債だけ丸々残ってしまったんや。その上,震災による直接の被害でない隣家からのもらい火の火事で焼けても,火災保険金はおりずじまい。この後小生の障害保険会社に対する不信感は強くなりました。

こんな話題は止めましょう。

 

なぜ神戸?

  • 何故神戸には外人が多いのでしょうか。外人なんて言葉は神戸にはあらへん。元々第三国人は沢山居るし,神戸にいる日本人自身が元々神戸出身ではない人が多いので,あんまり他人をせんさくしたりする風習が少ない。これで,外国人に対しても同じ対応をするものだから,彼らは居心地がいいわけ。センター街を歩いていても,どこにいても外国人をいっぱい見かけるが,彼らは我々と同居しており,風景の中に溶け込んでいる。
  • 実を言うと,魚崎という町が100年以上も前の地図に載っているのですから,歴史的に古いことは確か。
  • 港町やから。外国人が多いのは当然としても,そのお陰で,裕福な外国人の貿易商が開発した六甲山のゴルフ場が日本では一番古いらしい。要するに彼らによって開発されたものが沢山あるということ。こんなことはどうでもいいこと。
  • でも,自慢話はいっぱいある。こんな年寄りの繰り言を聞いてくれる人がいるかしら。

 

自慢:

  • 目の前に海があり,いつでも泳ぐことが出来るし,後ろを振り返るとすぐにでも海抜1,000メートルの六甲山がある。その後ろには有馬温泉があるので,金が有ればいつでも遊ぶことが出来る。自分の知らん間に六甲山を南北にぶち抜いて道路が出来,有馬に直行できるようになったらしい。自分の知っているころは,六甲自動車道路を通って行く必要があった。
  • おいしいものが「いっぱい」ある。先ず当然ながら,肉(牛の肉が「肉」で,それ以外は「XXの肉」と名前が付く。それから,魚。瀬戸内海が汚いというのは嘘(と信じているだけ)。とにかく朝捕れたての魚が昼には魚屋に並ぶ。新しいこと間違いない。もっと新しいのが欲しければ,明石や垂水の港に行けばいい。動いているタコなどもいくらでも見ることが出来る。タコなどは「タコ」であって,近海物の魚がいっぱいある。
  • それから,お酒。日本酒。灘の生一本。(最近になって,灘の生一本は桶買いであって,灘でつくっているのではない,などおっしゃる方がおられるようやが,そんなことはどうでもエエー。)最近は,株式会社神戸市が六甲山で,神戸ワインを作り出した。これがまた結構おいしい。ウイスキーは当然日本産ではなく,スカッチですから。山崎など関係ない。
  • ファッション。すべからく,女性方々の関心の的は神戸っ子のファッション。生まれながらのセンスの良さが,ファッションの発信地。でも,最近神戸を歩くと,神戸弁でない人が多くて,ファッションのセンスが相当変わったみたい。自分にとっては,本当にたんまにしか帰ることが無いけど,阪急電車で神戸っ子のファッションを見るのが楽しみやったのに。
  • お菓子:当然ながら洋菓子。日本のほとんど全ての洋菓子屋は神戸が出生の地です。ユーハイム(これが2社あるのやけど,どっちがおいしいかは当然決まっている。また,あの字でなんでユーハイムと発音するのや?とずっと思っていたが,それが分かったのがドイツ語を習って,例の「ユーゲント」のJの字から始まるのや,...)フロイントリープ,風(この字ではないが登録されて居ないので出ない)月堂,ドンク(これはパン屋),それとゴンチャロフと,モロゾフのチョコレート。
  • 料理屋:先ずは,キングスアームス(これって、「近衛兵」と言う意味なんですよ。とりあえずは。でも、もう亡くなられました),エスカルゴ,ガスライトパブ,ニューミュンヘン大使館ビヤホール,....本当はもっと沢山あるんやが,お金がなかったのでそれくらしか言ったことが無い。ああ,竹葉亭のウナギ,別館牡丹園の中華,ギョウザではあの狭い「ひょうたん」,うどんでは大きな水車のある「正屋」。ウンウン。西村の珈琲を抜かしたら怒られる。昔っから宮水の珈琲で有名。(もう涙でウルウル!!)

 

 

なんでこんな神戸を見捨てて

トーキョーに行ったんや??!!

毎日が後悔の連続。

 

ある会社の研究所に勤務していたけど,10年間ほどの間に研究所にいたのはほんのわずか。ほとんど外にいた。留学もさせてもらった。コンピュータシステムの現地調整に2年間ほど,鉄の町に出張したっきりのこともあった。関連の会社の研究機関との共同研究で,長期にわたって出張していたこともあった。とにかくこの間種々のシステムに携わった。

しかし,研究所というのは個性の強い人の集まり。ある政治的な動力学が働き,自分ははじき飛ばされ,自分の好きなことが出来なくなった。すなわち,システムエンジニアとしての仕事が出来にくくなってきた。サポートしてくれていた本社取締役の上司もどこかへ行かれてしまった。それで,重しが無くなり,ふわっと飛んで出てしもおた。

東京ではなく,鎌倉だが関東であることには変わりがない。横浜に近いが,神戸の中華料理店とは全く違い,人だけが多くておいしい店は見つからなかった。それからずいぶん時間が経った。もちろん,移動した先では十分にシステムエンジニアの仕事に従事した。それが,システムエンジニアの記事に書かれていること。

でも,仕事と個人生活とは違う。東京弁をしゃべらないとあかん。東京の人は,「ぐさっと胸を突くようなきついこと」を平気で言う。部下も上司も,冗談を交えて真剣な話をするという風土からはほど遠い。こちらには「むねにぐさっと」来るような言い方で,内容の無いことまで,どうでもいいことまで,喧嘩ごしで,とにかく,口論に勝のが目的というような風習で,毎日が明け暮れた。

我々関西人にしてみれば,大事なことはきちっと押さえるが,どうでもいいことは細かいことは言わないでそのままにしておいて,雰囲気を楽しむという感覚にある。その人にとって関東の風土は厳しすぎた。どうやら,家族もそのような風土の中で,台風・竜巻のようにもみくちゃにされていた。その内,子供たちが関西弁を忘れ,関東の人に近くなってきてしまった。だから,関東と関西の断絶が家族の中にもあるような感じだと言えばいいのかな。

今の自宅は,横浜の鶴見区の山の上の方にある。何と階段を20段も30段も上がらないとたどり着かないところで,自動車を持っていても玄関先に車を横付けにすることなど出来ない。一方西面は畑や竹林に面しており,南面は斜面なのでランドマークが目の前に見える。レインボウブリッジとかいう橋も見える。海も見えるが,神戸のように目の前に海が見える環境ではない。神戸では、須磨と塩屋の間は、JRは海岸ぎりぎりを走るので,いつでも塩の匂いを嗅ぐことが出来た。今は山に行こうと思うと,3〜4時間も自動車を運転し,渋滞に巻き込まれないと山らしい山に到着しない。行った先は,人また人で混雑している上,砂浜は黒々とした砂であるからとても白砂青松なんて雰囲気からは遠く,早々に逃げ帰るような始末である。

だから,後悔の連続の毎日なんですよ,お兄さん。

 

それから:

 

それからはもう既に書いたような,「システムエンジニアリング」を仕事の糧に,頑張って生きてきました。もうシステムがやれなかったら,トーキョーに居る必要はないのが本音ですが,悲しいリーマンの”さが”ですね,いやと言えないもんねー,知らない内に何年も経ってしもうた。

ふるさとの歌:(室生犀星 作詞,磯部俶 作曲)

ふるさとは
とおきにありておもうもの
そしてかなしくうたうもの

よしや うらぶれて
異土の かたいと なるとても
(かたい:辞書をひいて下さい)
かえる ところに あるまじや

ひとり みやこの ゆうぐれに
ふるさとおもい  なみだぐむ
ふるさとおもい  なみだぐむ

そのこころもて
とおきみやこに かえらばや
とおきみやこに かえらばや

11月6日のステージで歌った曲の一つ。

 

これから:

これからは分からない。自分で決められるのだろうが,決められない。バーチャルな世界で生きるのだろうと思っている。段々影が薄くなってきて,その内見えなくなるのかな。それまでに神戸,関西に戻るのかな。全く分からない。

 

2003年8月7日追記:

最近も、全く変わらない。依然として関東に住んでいる。このぎくしゃくぎくしゃくした関東になんで好んで住んでいるのだろうか?もう用事はないはずなのに。しかし、もう関西には戻れないだろうな。人間(「じんかん」と呼ぶ)至る所「青山」あり。...なんて、意気がって「青雲の志」をもって関東に出てきたのが、弱冠18才の青二才。それが、大学、修士と6年間を関東で何とか過ごして、そのまま無事関西に戻ったものの、関西に居残る「唯一」のチャンスを、自分で潰した。折角、会社の大先輩が、是非こちらに来ないか、...って言ってくれたのに。...これが今も今も返す返す残念な一番の心残り。それに従っておりさえすれば、多分、それから20年くらいは神戸にいたんだろうが。そして、多少は偉くなり、関東に出稼ぎに出かけたのだろう。そして、Uターンで、関西に戻る。なんて図式が成り立ったのだろうが。しかしそれも、たったの一言で「私には今やりかけている事があります』といって断ったのよ。「室賀さん」ごめんなさい。「茶谷さん」ごめんなさい。ごめんなさいを言う人が多すぎで、本当にごめんなさい。私が未熟で、本当に出来損ないだったから、生意気だったから。そんな言葉がはけたのですね。

未だに生意気だから。自分は決して「反省しない」「後悔しない」「 人の言葉に耳を貸さない」「自分は今までの人生に満足している」って言ってきたし、今も言っている。でも、本当はあの時、室賀さんの言葉に従って、神戸に行っておりさえすれば、人生は別の展開をしたのだろうが。そして、子供たちも、関東弁ではなく、 関西弁をしゃべり、多少は、冗談(ジョーダン)を理解する人間らしい人に育ったのだろうが。今の子供は、冗談も理解しない、何をしゃべってもそのまま受け取る。文化なんて存在しない。およばれして、3回勧められて初めて、それでは「おおきに」と言って受け取る。...京風かな。これって。私は神戸だから、マイクロカルチャーの差があるので、私自身は、1回目の勧めで「ありがとさん」といって受け取るんだけど。でも、神戸っ子というのは軽い軽い。ほんとに「紙」か、「フィルム」見たいに軽い。だから、全く気にしない。誰が隣で何をしてようが関係ない。....そうなんです。他人は他人。自分は自分。でも、あったかいよ。神戸っ子は。親切。親切。

おいしいものも多いし、きれいなおべべも多いし、別嬪さんが沢山いるし、スタイルも抜群だし、海も山も何もかもあるからね。お魚もお肉も、...養殖なんて食べれないよ。近海物のお魚が沢山ある。それに、おひさんの光が違う。明るい、まばゆいほど明るい。だから、南国ほどではないけど、陽の光に打たれて「このままーーー死んでしまいたいーーー」ではなかったかな。とにかく、磯の香り、タコ...何でもいいや。 おいしい、お菓子もケーキも沢山沢山ある。アンリ・シャルパンティエなんてケーキ屋もあるんよp。横浜のそごうにも高島屋にも有るから,それは良いんだが。最近,そごう横浜店の地下2階にUCCコーヒーを丁寧に入れてくれる店を見つけた。しかも、たったの380円。目の前でドリップで入れてくれる。しかも,そこで出してくれるチーズケーキがおいしんだよね。(2005年1月20日追記)

とにかく、冗談が通じない関東は駄目。だじゃれも通じないで、叱られる毎日。なんてこっちゃ。「大政奉還」は間違っていた。絶対に首都は「神戸」でなければならない。...ひょっとして「京都」の間違いかもしれないけど。とにかく、関西、神戸に権力の中枢なんていらないけど、私は戻りたい。関西に。神戸に戻りたい。.....絶対に関東では死にたくない。絶対に。「室賀さん」ごめんなさいね。貴方の言うことを聞いて神戸に行けば良かったのです。でも、もう遅い。もう、60歳を越えてしまった。後は、音楽と美の道をまい進するのみです。きれいなもの、美しいものを求めて、世界中を漫遊します。そして、目と耳、口と鼻を楽しませます。五感だから、もう一つあったような気がするが。おいしいものを食べ、おいしいケーキを食し、いい音楽を聴き、オペラを聞き、そして、おいしいビールをたらふく飲み、スリムになって美しくなり、...きれいなおべべを着て..社交界にレビューしようかな。ちょっと遅すぎるけど。

ついこの間は、私がかって所属していた「帆船日本丸男声合唱団」が、オランダの公演に出かけました。すごい事ですよ。本当は私も行きたかったけど、事情が許さず、止むなく断念。私が一番の大元だったのですが。オランダのヒラルド(Gerard)氏という人とコンタクトが取れ、その人の素晴らしいアレンジで、私たちの団員は、オランダで素晴らしい公演をする事が出来ました。そのニュースはこちらをご覧下さい。

とにかく、絶対に神戸に戻るから。絶対に関東では死なない。殺されても死なない。私の心は常にここにあらず。...関東にあらず。です。でも、SEの皆さんには、何とかお世話になった大先輩たちのご恩に報いるため、ありとあらゆる努力を惜しまないつもり。これは地域、地方に関係ない。

この馬鹿さ加減をもう聞き飽きた人はさよなら。そうね、さよならよ。聞き飽きない人だけ、またご訪問下さい。そして、筆者にメールを下さいね。愛する関西人よ、神戸っ子よ。是非お声を聞かせてね。神戸弁でね。それでは、またあしたまで。

 

2005年1月24日追記:

最近ちょっと動きが出てきたのかな? 毎年のことだが、少々過激な年賀状をデザインし、印刷する。それを多数の人に配るのだが、戻ってくる年賀状も多くなった。そして、定年になり田舎に越しました、都会から離れて野菜を作っています、毎日が日曜日の晴耕雨読の生活をエンジョイしています、なんて年賀状が多くなってくると、何だか寂しいね。自分もその人たちと同じ境遇にあるのだが、田舎(関西)に戻ると言っても戻れない状況にあり、仕方なく関東の横浜に居を定め、竹林の近くで仙人の生活をしているが、本業の「TEPシステムズ」の仕事も結構忙しいし、最新情報でもお知らせしているように、2004年末は「SEが35歳までに学ぶべきこと」という本の執筆に忙殺された。情報通信業界はそれほど活況を呈していないとはいえ、英日翻訳自体の需要は多いし、また、SEヘの教育も仲々の盛況である。

まあ、そんなことをしながら毎日を送っているわけだが、通勤時間は自動車で10分弱、それで5時になれば家に戻り仙人生活である。どこかにも書いたが、犬を飼い始めて1年以上経ち、この犬の餌やリと散歩は私の仕事だから、これも結構忙しい。現在の所これ以上は書くことは本当は無いのであるが、年賀状で書いたことをここに再録しよう。年賀状自体をここに示す。少なくとも、60年安保世代の心意気を示そうではないか。檄文としてこの年賀状をしたため、多くの人に送った。年初からこのようなアクの強い年賀状を受け取った人の中には、へどが出そうな気持ちの人も居たのではないだろうか。

これもこれ、それもそれ。このページだけは、オーナーのため息が聞こえる所としましょう。一生懸命人生を生きてきたけど、果たしてそれが成功だったか、失敗だったか? そんなことを問うても誰も答えては呉れない。しかし、自分では成功であったと思うのだが、2005年は特別な年なのかな? 色んなことが有りそうな気配がする。私の執筆した著作が、読者の皆さんに歓迎されれば大変に嬉しい。だから、今、アンケートを作成中だが、間に合うかな。著作の1校2校の段階で組み込むことが出来るかしら?

また、一生懸命に推敲したから、このサイトに掲載している記事にも相当量の誤植が見つかっている。それらを修正するべきであろうし、また、多少は推敲の結果を反映したいとも考えている。また、質疑応答も、現在到着しているものを掲載するのは相当後になるだろうが、2〜3年前に来た質問に対する回答も掲載できずに来ているし、その他の改善の案も実現できずに来ている。だから、今、今年、それが可能なような気がする。これが、このサイトを支えてくれた多くの人に対する恩返しではないだろうか。また、会員制サイトの運営についても、もう少し何とかならないかな。ウェブデザインが余り上手ではないし、CGIなどもうまく動かせない。..未だ続きます。

 

以上

 

目を大切にしましょう

ちょっとお休み

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